秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

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  No.127(2003年12月1日)

 123号にペットブームのうらで、犠牲になっている犬や猫のことを書きましたが、全国で横行するペットへの虐待はやがて弱者である幼児や高齢者への暴行にエスカレートしていく現状があり心配です。
 当地でも空氣銃で6発も撃たれ、目をアイスピックのようなもので刺された「福ちゃん」という猫が手術の介もなく11月11日に亡くなりました。いぬ・ねこネットワーク秋田には、虐待を知った市民から126件、61万余円の募金が寄せられたそうです。子供に対しての虐待もそうですが、人間の身勝手さはとどまることを知りません。最近の日本では、今まで考えられなかったことがいろいろと事件化し、まさに不安社会を象徴しているように思えます。
 さて、大晦日には、国民的行事といわれて久しい紅白歌合戦があります。「赤組白組」といっているのに「紅白」とはなぜでしょうか。日本人は古くから赤と白の色を好んできました。現代でもお祝いの熨斗紙の色は赤と白です。また、学校の運動会でも赤組・白組に分かれて対戦するのが普通です。国旗も白地に赤です。
 ところが、白のイメージが日本と中国では正反対と知って驚きました。中国では、「白」という字は「無駄・むなしいこと」や「不幸」を連想させる字なのだそうです。さらに「赤」も貧乏を連想させる字だといわれます。これに対して幸福を連想させる色は「紅と黄」なのだそうです。中国の国旗は紅と黄です。
 また中国では、「紅十字」「紅血球」「紅軍」「紅旗」など紅を多用しますが、日本では「赤十字」「赤血球」「赤軍」「赤旗」と文字が赤に変わります。最初の疑問に戻ってしまうのですが、「紅白歌合戦」でも紅白をうたっていながら赤組白組と言っているのは本当になぜなのでしょう。続きは1月号で。
 皆様どうぞ良いお年をお迎え下さい。
  No.126(2003年11月1日)

 錦繍の候、益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
 平成5年創業以来、お隣の宝石店「イトキン」さんと共に10周年を迎えたわけですが、お客様の中にも創業が同じお店が何軒かありました。千秋久保田町の「ウィロードクリニック」様(TEL837-0070)や山王のおいしいラーメン店「えびや」様(TEL863-5856)等です。これも何かのご縁と思います。厳しい地方都市の経済環境の中で次なる節目に向けてお互いに努力を続けて行きたいものです。
 さて、米どころ秋田にあって恥ずかしいような話ですが、粢菓子の原料となる秋田産餅米が不足し、価格は2倍以上に跳ね上がりました。その影響から例年ご好評をいただいている「しとぎ杵つき餅」の販売は本年できない見込みです。昨年500円だったものを900円くらいにしなければ採算が合わなくなり、こんな理不尽な価格の商品ではお客様に納得いただけないと思います。
 秋田県の作況指数は90%台でしたが、早めに田植えが行われた田んぼや早生種の圃場での影響が大きく、実際は予想以上に不作でした。不作の大きな原因は、花粉を形成する最もデリケートな生育期間が低温だったためですが、農家の高齢化で土づくりなど、田んぼに向ける投資と労力がなかなか確保できないことや、兼業のため管理が行き届かなかったのも一因ではないでしょうか。
 6月〜7月のこまめな追肥が必要となる時期に大きな労力をかけて深く根をはらせた稲は、この冷夏を乗り切ったそうです。
 これから「キノコ」のシーズンと重なり、郷土料理「きりたんぽ」の本格的な季節になります。米づくりと消費の関係を今一度考えさせられることになったと思います。価格が落ち着いた頃には、前回の冷夏の様に今度はお米が余っているということがないよう祈っています。
 ところで、11月より本店・登町店ではお歳暮の早期受注キャンペーンとしてお買い上げ2,000円以上は送料半額、3,000円以上は送料無料の企画がスタート致しました。期間は12月10日までです。
どうぞ、この機会に是非ご利用下さいませ。
  No.125(2003年10月1日)

 当店の目と鼻の先に岡田謙三記念館があります。秋田市千秋美術館の中に創設されて14年になりました。街の真ん中にあり便利なはずなのにここ数年、空洞化のためか入館者数は芳しくありません。美術館はバブルの頃、全国あちこちに出来ましたが、その質を誇るものは決して多くないように思います。その点、秋田市立美術館は、民間の意見を取り入れたり運営委員の任期もキチンとしているなど、いろいろ努力をしているようです。
 ところで、学生時代、東京の自由が丘3丁目に住んでいたことがあります。2階の部屋から向かいの家が良く見えたのですが、そこの住人を見ることはなく、ほんの数m先に住んでいる人を見ないのは都会なればこそか?と思っていました。そこが岡田謙三画伯の家であったことを知ったのは、随分後になってからで、同時にどんな絵を描かれてどんな人生を送られたのかがわかったのは、秋田に戻ってきてからのことでした。
 そして、千秋美術館と岡田謙三記念館の運営委員に任命されたことも、不思議な縁だったと改めて思っています。いろいろなものの質を問われる現在、千秋美術館の秋田蘭画の収集や企画展には目を見張るものがあります。入館者数などにこだわる一部の意見に負けず、更なる質の向上を目指してもらいたいものと思います。それが適正な評価に繋がり、街の空洞化阻止に一役かうのではないでしょうか。
 尚、岡田謙三生誕100年記念・没後20年展は11月19日まで開催されています。岡田謙三(1902〜82)は横浜に生まれ、第二次大戦後、ニューヨークと東京を拠点に活動した画家で自らの表現を「幽玄」という言葉から「ユーゲニズム」と名付けました。
  No.124(2003年9月1日)

 夏をゆっくり満喫する間もなく秋になってしまいました。皆様の夏はいかがだったでしょうか?8月末、旧盆や終戦記念日の余韻のような話を耳にしました。
 知人の娘さんが通学途中、混んだ電車で読書をしていたら、隣の人も覗き込んでちらちら読んでいます。自分はもう読み終えたのですが、隣の人はまだのようなので頁を閉じないでいたそうです。やがてその人は泣きながら電車を下りて行ったそうです。
 その本の内容を紹介しましょう。
 ある古本屋の親父の話です。お金を出すから新聞の切り抜き帳を取りに来て片付けて欲しいという客が現われました。亡くなったおばあちゃんが45年間にわたって作った物で、種々のスクラップが丁寧にノートに貼られ、一冊ずつ茶封筒に収まっています。封筒には宛名が記され、切手も貼られていました。
 戦時中、貧しかったおばあちゃんは、戦地に送る慰問袋としてお金がかからなくて兵隊さんが喜ぶものをと考え、「お国のたより」と題して新聞の切り抜き帳を仕立てて送ることにしました。近所から古新聞を集めて熱心に制作したスクラップは、兵隊さんに大変喜ばれました。息子も出征していたので、彼女は息子に感謝された氣持ちになりました。戦争が終わり、大事な息子は白木の小箱に入れられて帰還しましたが、彼女は信じることが出来ずまだ南方で必死に戦っていると思い続けたのでした。再び切り抜きに精を出し、母親の便りのつもりで「戦地」に送り続けました。事情を知った郵便局が彼女に氣づかれないようにその「たより」を家族に返し続けてくれたのです。家族は、捨てるに忍びなく積もり積もってトラック1台分にもなってしまったそうです。おばあちゃんは死ぬまで、自分の手工品が「戦地」に届いているものと疑いませんでした。封筒にはたどたどしい文字でたった一行「大日本帝国軍たい兵士さま」と書かれていました。
 (出久根達郎著 『本のお口よごしですが』から「兵士さま」より)
  No.123(2003年8月1日)

 暑中お見舞い申し上げます。もっとも8日からは「残暑お見舞い申し上げます」になり、当地では、豊作の喜びの表現ともいえる夏祭りが終わる中旬頃から秋風が吹くことと思います。
 さて、今月の話題は、以前から氣になっていたペットに関する事です。昨今のペットブームに拍車をかけるように消費者金融会社のCMにチワワという種類の小犬が登場し、人氣となり価格が1頭30万から50万円近くにはね上がったとか。しかし、その裏側には安易に飼ってしまった挙句、太らせてしまって「こんなはずじゃなかった」とペットショップに返品したり、動物管理センター送りにしたりする人もいるという信じられない事実があります。
 2001年度の犬猫の殺処分数は、49万4,974匹、そのうち犬が21万2,699頭、猫が28万2,275匹となっています。犬の処分数は年々減少していますが、猫はこの10年間変化ありません。処分されている猫の73%以上が子猫です。
 殺処分がもっとも多いワースト1位は福岡県で犬猫合計26,434匹。以下千葉・愛知・兵庫・茨城・長崎までが2万匹台になっています。これに県人口と犬の登録数等を比較して、人口1万人あたりの殺処分数の比率は、島根、長崎、徳島が毎年ワースト3になっています。ちなみに秋田県は昨年度で犬が1,349頭、猫が1,281匹でした。
 しかしながら、最近は動物実験に払い下げられる数も減少し、実験そのものを廃止した北海道など自治体の意識にも変化の兆しが出てきました。動物愛護条例を制定していない自治体は33もあり、動物愛護推進員についてはまだ14の自治体しか設置されていません。
 先日、出勤途中にやせた白い犬が横断歩道をトボトボ歩いていました。飼い犬らしくないその姿を見て、飼い主の放棄に怒りを感じると共にその犬の行く末に胸が痛くなりました。ペットは覚悟して飼うべきだと思います。
  No.122(2003年7月1日)

 先月、創業10年のささやかな祝賀会を開催いたしました。この10年間にお世話になった方々をお招きし、楽しくかつ有意義な時を過ごすことが出来ました。これもひとえに創業以来お引き立てをいただいているお客様のご支援の賜物と感謝致しております。創業当時を知る社員は2名になってしまいましたが、創業の精神は受け継がれていると思います。
 さて、来春卒業する学生の就職活動が本格的になってまいりました。リクルート姿もよく見かけます。企業が優秀な人材をより早く獲得しようと早めに内定を出すことを俗に「青田買い」と呼んでいますが、これは米の買い入れ業者が質の良い米を確保するため、前もって田んぼを買取る慣習になぞらえたものです。「青田」とは、実を結ぶ前の稲が青々とそよぐ7月中旬〜下旬の水田のことで、夏の季語にもなっています。日本の代表的な田園風景でもあり、いまは少なくなった棚田においしいお米の稲が波立つ青田波は美しいものです。
 飼料にするため刈り取る「青刈り」と「青田買い」を混同した「青田刈り」は誤用ですが、長い間使われていると許容する辞書も出てきました。
 採用活動は早まる一方で、好況時には青田よりも「早苗買い」までおきました。企業にとっても学生の採用はまさに先物買い。景氣の低迷が続く中、企業側も学生側も良いめぐり合いが出来たらと祈らずにはいられません。ちなみに当店でも若干名の社員を募集予定です。
  No.121(2003年6月1日)

 田植え後の水田の美しさは、日本が、いや秋田が世界に誇るべき風景だといつも思っていました。キラキラ光る水面と植えたばかりの幼い苗のやわらかな緑が絶妙なコントラストをつくり、迫ってくるものがあるからです。今月末には雨に映える緑のじゅうたんがひろがっていることでしょう。
 ところで、日本人が昔ほどお米を食べなくなったのは、なぜなのでしょうか。戦後、戦勝国の経済戦略に乗せられ、せっせと小麦を輸入しお米の大切さを忘れてパン食の普及に国を挙げて奔走した時期がありました。パンやパスタの方がご飯よりスマートだという風潮をマスコミなどが助長したのも一因でしょう。スローフードの発祥地、イタリアは食文化が深く根付いている国のひとつです。1986年イタリアに進出したマクドナルドは未だに300店舗しかありません。反対に日本には1971年進出以来、最近衰えたとはいえ、4,000店舗もあるのです。人口は、イタリアが5,700万人、日本は1億2,000万人ですから、日本の食文化の浅いことを物語っているのではないでしょうか。
 マクドナルドやモスバーガー等のファーストフードは確かに便利です。しかしアメリカンナイズされたいかにも工業的な便利さは果たしてわれわれ日本人のこころを満足させているのでしょうか。これからの食品は地域に根ざし、要領は悪くとも丁寧で損得より善悪でつくっている生産者を大切にしていく必要があると思います。
 今後尚一層、安全・鮮度・環境を大事にし、一乃穂ではこれからの10年間も更に進歩したいと思っております。どうぞこれを機によろしくご愛顧下さい。
〈お知らせ〉
6月16日は和菓子の日です。本店にて景品が当る抽選を行います。
  No.120(2003年5月1日)

「五十肩」という病名は俗称であるらしい。中高年者の肩の痛みとそれに起因する運動障害の代名詞として用いられている。
 ある日突然、痛みのため腕を挙げることが困難となった。シャンプーが出来ない。ベルトを通すことが難しい。さらには夜間の痛みのために、不眠に陥る。痛みは半年から一年くらいで消失し、再発することは少ないと聞いてはいたが、自然に治癒するからといって放っておいていいのだろうか。今まで他人事のように思っていたこの現象に、いざ自分が遭遇すると他人の痛みが良く判る。
 思いのほか、身近な人が体験していて色々とアドバイスをしてくれる鎮痛剤やトランキライザーの服用、湿布薬の貼付、ヒアルロン酸の肩関節内注入などである。自宅でのアイロン体操も効果があると教えてくれた人もいた。ペインクリニックでは、これらの治療法に加えてトリガーポイント注射や肩甲上神経ブロックという神経ブロック療法も効くそうである。しかし、色々な方法伝授の最後には「何をやっても時がくれば治るよ」とのアドバイス通り半年位でうそのように治ってしまった。経験者の言葉の重みというかその力に助けられたような氣がする。これまで整体に通っていたのが本当に無駄だったと思ってしまった。
 体のパーツが耐用年数を過ぎて起こる障害の代表が「四十腰」と「五十肩」である。しかし、ショックを受けることはないし、悲観することもないと痛感している。ところで、当地の脳血管センターには世界的に注目されている医師や施設がある。近い将来高齢者治療の最先端県になるよう期待したいものだ。
〈お知らせ〉
6月16日は和菓子の日です。本店にて景品が当る抽選を行います。
  No.119(2003年4月1日)

 平成5年4月1日午前9時30分、不安と期待と共にこの一乃穂を開店したことを鮮明に覚えています。秋田県産米を使用した3つの粢菓子−しとぎ餅、しとぎ豆がき、しとぎ紗舞玲の3品だけしかないこの店に多くのお客様がご来店いただいた感激は今でも忘れることはできません。
 正にリセットのきかないたった一度の人生を皆、歩んでいるのですが、私にとって忘れられない出来事として毎年4月1日を迎えてきました。
 この10年間で、日本も秋田も大きく変化しました。当時から郊外の商業が盛んになる兆しがありました。しかし、中心部をコンビニと自販機の灯りだけにしてはいけないという気概を持って駅前に開店しました。
 この間、豆がきの製造は1億枚に達し、全商品を含めると3億枚になります。これをひとつの通過点とし、更なる10年に向かって安全でおいしい秋田粢菓子を作り続けますので、末永いご愛顧をお願い申し上げます。
 さて、最近観た映画に「阿弥陀堂だより」があります。原作は文春文庫(文藝春秋)から発行されており著者は南木佳士(なぎけいし)です。彼は群馬県出身ですが、秋田大学医学部を卒業しています。ストーリーは、東京で暮らしていたある夫婦が長野県の山間にある小さな村に着いたところから始まります。有能な医師であった妻が重度の精神障害にかかり、療養の為、夫の故郷である谷中村を訪れ、そこに住むことによって、大自然の中で人間の存在がいかに小さいかを改めて感じるという内容です。現代のスピードは、あまりにも多くのものを日本人から奪ったとも感じられます。特に、「見た目の美しさや合理性ばかりが追及された人工建造物のレイアウトには、弱い心の存在を無きものとみなした健康人たちの奢りが感じられる」という文章にやさしい医師の視点が伝わってくる思いです。
  No.118(2003年3月1日)

 陽春の候 益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。春は、出会いと別れや新しい環境に身を置く方々が多いと思います。その人生の節目には「言葉」が色々と介在しているように思います。「あの一言で今の自分がある」「あの言葉を口にしたため、取り返しのつかない状態になってしまった」等、何氣なく口にした言葉が時として私たちの人生を左右することがあるのではないでしょうか。
 古来、言葉に関する戒めとして『慎言』という教えがあります。その教えの第1は「多言」です。要は多く語るなという意味です。確かにしゃべり過ぎて良かったという経験を持っている人は少ないでしょう。第2は「軽言」です。何氣ない言葉がひどく相手を傷つけたり、相手が一番話題にしてほしくない内容であった場合、お互い氣まずくなってしまうことがあります。第3は「尽言」。とことんまで言い過ぎるなという戒めです。感情が高ぶっていると必要以上に相手を追い込んでしまいがちです。第4は「漏言」。「まだ検討中なのでここだけの話にしてほしい」と言いながら相談内容をよそでペラペラしゃべってしまい、信用を失うケースです。結びに「矜言」です。話し手は興に乗って話しをしていても聞き手はそれ程、耳を傾けていないということです。「言は簡をもって貴し」と言われます。文章も同様、本通信も氣を付けたいと思います。
 さて、4月1日で当店は創業10周年を迎えます。これもひとえにお客様のお蔭と深く感謝申し上げます。アンケート葉書でのご意見、ご感想ご提言等は18,000余通になりました。ありがとうございます。
 4月1日〜3日までは謝恩期間とさせていただきます。今後共、末永いご愛顧、祈っております。
  No.117(2003年2月1日)

 昨年11月28日(木)ハタハタが県の魚に制定されました。ハタハタを県の魚にしようとする意見は大分前から持ち上がっていましたが、漁獲量が激減したため見送られてきた経緯があります。
 本県のハタハタの漁獲量は、昭和41年の2万607トンをピークに減少の一途をたどり、平成3年には71トンまで落ち込んでしまいました。このため漁業関係者が県水産振興センターの指導のもと平成4年9月から平成7年10月まで自主禁漁し、解禁後も地区ごとに漁獲量を割り当てるなど資源管理に取り組んできました。この結果、昨年の漁獲量は1.569トンにまで回復し、秋田県の魚種別漁獲量では昭和53年以来23年ぶりに首位に返り咲きました。
 ところで、禁漁時に輸入されていた安い北朝鮮産のハタハタは郷土料理「すしハタハタ」などに使用されておりましたが、再三、鉛などの異物混入の事故があり、不良品として返品されています。北朝鮮では返品されると国内の食料とされるのでワザと入れてよこすのではないか?と推理する人もいます。現在はほとんど使用されていません。
 ハタハタは鱗のない珍しい魚です。海底の砂の中に潜って、大きな目玉をギョロギョロさせてくらしています。日本海の上空を前線が通過するのにともなって雷が鳴ると雌雄乱舞しながら砂底の緩い傾斜に沿ってのぼり出します。ハタハタ漁は勇壮な漁労で冬の海に小船を出して網を揚げます。陸から眺めると、まるでのみ込まれてしまうかのような激浪のなかで作業をしなければなりません。
 昨年の漁獲漁の実績から秋田地区には5千万匹程度の生息があると推測されるそうです。これだけの数を維持し続けるには、餌を効率よく食べるため分散して回遊しているようです。ハタハタは鰰と書きます。秋田では魚の神様といわれているゆえんです。
  No.116(2003年1月1日)

 新年おめでとうございます。今年こそ良い年にしようと誰もが思う月です。スタートから事故に遭うことのないよう祈念しております。
 秋田県は、全国でも人口減少県としてここ数年トップクラスに位置づけられていますが大学を卒業して帰ってくる若者も少なくありません。近所の酒販店の息子たちも最近帰ってきて一所懸命仕事に打ち込んでいます。そんな二人を見るにつけ若者が頑張れば豊かになり正直者が報われる世の中になってほしいなとつくづく思ってしまいます。
 その息子のひとりから高校時代のおもしろい話を聴きました。法律的には酒を飲ん ではいけなかったあの頃、酒と大人の世界に憧れ誰かの家で隠れて酒を飲んでいた。酒を飲む自分たちに近い将来の姿を重ね、夢なんか語り合っては訳もわからず酔っぱらっていた。大いに大人ぶって、「やっぱし手酌し始めたら酔っぱらうよな〜」などと言いながら。しかし、その頃は「手酌」を思いっきり誤解していたのだという。手酌とは自分で自分に酌をする事、自分の「手」を使うから「手酌」と呼ぶ、というのは今でこそ知ってはいるが、当時「手酌」とは、自分の手の平に酒を注いで飲む事だと思い込んでいた。しかし、いざ手酌をしてみると、なにやら様子がおかしい事に氣がつく。手の平に注いだ酒を飲もうとすると酒が指の隙間から流れ落ちてしまう。手酌をすると酒がこぼれて大変だという話は聞かなかった。
 みんなが悩んだ。何人かで集まっていると中には頭のきれる奴がいるもので、熱燗を手の平に注いですばやく飲むスタイルを確立したのだ。彼が言うには「熱さが手の平に伝わらないうちに飲むのがミソ」、だそうだ。私は「やっぱ熱燗の方が酒は旨いよな〜」などと素っ頓狂なことを言いながら。流石に手酌の本当の意味を知った時は愕然としたそうである。当時は当時で楽しかったのだろうなと羨ましく聴いた。





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