秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

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  No.139(2004年12月1日)

 いよいよカレンダーも結びの1枚になってしまいました。自然災害や悪質で残虐な事件、事故が多発し、なんとも精神的に落ち着かない1年だったように思います。台風・地震などで犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、いまだに苦しい生活を余儀無くされている方々には心よりお見舞い申し上げます。当店でも義援金を差し上げましたが、秋田県では8,000万円を超える義援金が集まったそうで嬉しく思います。全国から集まったお金が、一刻も早く被災者ひとり一人に平等に行き渡る様にしていただきたいものです。
 ところで、先日NHKテレビで、あるジャーナリストがこんなことを話していました。海外の紛争地の避難民キャンプで遭遇した時のことです。5歳くらいの女の子が国連から配給になった薄くて少ないスープを飲んでいたところ、少ししてからその子は、自分より小さな瀕死の2歳の子に懸命にスープを飲ませていたそうです。その行為に感動し、涙ながら夢中でカメラに収めたそうです。「人間は極限状態にあっても人間を助けるようにできているんですね。」と語っていました。そういえば、阪神淡路大震災のときも、誰が書いたかわかりませんが「人間を救えるのは人間しかいない」という看板があったのを憶えています。また、秋田県知事夫人から聴いた話ですが、インドの最貧街にある孤児院を慰問して帰ろうとした時、孤児たちが出てきて「あなた達が無事日本に帰れるよう一生懸命お祈りしています。」と告げられ、そのこころの豊かさに感動したそうです。
 では、物質的には豊かになった日本人は、精神的にはどうでしょうか?殺人事件の多さ、名のある企業や手本とならなければならない人達の不正や飲酒運転、おれおれ詐欺での被害は県内でも5,000万円を超え全国では120億円を超えました。この10年で日本人は随分悪くなってしまいました。
 しかし、欲にとらわれず凛然とした生き方をしている日本人は、まだまだいるはずです。献身、勤勉、使命感といった日本人の美徳を備えた人間です。これからの10年で軌道修正していけると信じたいものです。どうぞ、皆様ご健勝で良いお年をお迎え下さい。
 尚、本店は2日より登町店は3日より初売りでございます。来年もお引き立ての程宜しくお願い致します。
  No.138(2004年11月1日)

 この通信を書いている時に、新潟県中越地方で176年ぶりにM7級の地震が起きたという衝撃的なニュースが入ってきました。同じ日本海側の当地は、震度2の弱震でしたが、昭和58年の日本海中部地震を経験しているだけに、本当に驚きました。そして大地震といえば、非常に多大な被害が及ぼされた阪神・淡路大震災が思い出されますが、その際は飛び散ったガラスの破片で多くの方が足を怪我されて動けなくなったそうです。今回の新潟県中越地震においては、そのような過去の教訓を生かしながら復旧作業が行われ、一日も早く元に戻ることを願うばかりです。また、亡くなった方々のご冥福を祈りつつ、被災者の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
 大地震を目の当たりにしていつも思うのは、“地震は予知できないのか”ということです。古くは、なまずが地震の発生を知らせてくれる、最近では、みみずが地面に出てくる、など諸説ありますが、現在の科学技術では日時・場所・規模を特定した地震予知は不可能だそうです。今後、さらに技術が発達し、地震が予知できるようになったら、どんなに安心でしょうか。
 さて、難しいことは専門家に任せて、ひとまず身の回りでできること…とりあえずどこに身を隠すか、それから何を持ってどこに逃げるか、誰に連絡するか、などを考えておき、家族の中でも話し合っておくことが、手っ取り早い防災なのではないかと思います。阪神・淡路大震災の折、ライフライン関係では電気の応急的な復旧に6日、電話が2週間、水道とガスは全域復旧に3ヵ月掛かっており、その間は自力で生きるしかありません。計画性のない我が家でも、さすがに水とはきものと多少の準備はしました。皆さんの御家庭ではいかがでしょうか。
  No.137(2004年10月1日)

 実りの秋となりましたが、秋田の今年の水稲はあまり芳しくありません。先の台風の影響で沿岸部を中心に塩害の被害が多く見られ、街路樹や田んぼの一部が茶色く変色してしまいました。さらには季節外れの桜が満開になったり、欅には新芽が出たりと、来年が心配です。
 作況指数は、今のところ全国最低の「86」の著しい不良となり、全国平均が「101」ですからいかに不作かがわかります。10アール当たりの収量は平年573キロですが、本年は493キロと推定されます。
 しかしながら、当店の原料米であるもち米は比較的被害が少なく、契約栽培のおかげで全量確保できる見通しで「ほっ」としています。只、被害農家では例年の2割位の収量しかない地区もあり氣が重くなってしまいます。
 さて、反対にきのこは大豊作のようです。こちらは、台風の影響で土の中に空氣が程よく入ったからと言われています。また、スポーツの秋でもあり、体力維持に努めなければならないことから『一日を元氣に過ごす方法』をお知らせします。これは秋田県衛生科学研究所鈴木所長からの資料です。
.朝起きるとき、寝床で@耳を引っ張る、そして驚いた時の顔をするとしっかり目覚めるA身体中の関節を全て動かしてから起きる .起きたらぬるま湯を一杯飲む .今日も頑張るぞ、負けないぞと声に出す .ラジオ体操(のようなもの)をする .洗面時に@顔面のマッサージをするA顔の筋肉の運動(色々な表情をつくる)B無理のない鼻うがいをする .歯磨きは毎食後、電動歯ブラシ、洗口剤も .手指の爪の付け根を良く揉む(薬指以外) .散歩する時は@足を引き上げる運動をするA腰をぐるぐる回す運動もB手足の筋をのばす運動も .一日10分ぐらいの居眠りを 10.なるべく裸足でいる 11.風呂はぬるま湯でゆっくり温まる 12.寝る前に軽いストレッチを 13.布団に入るのはぎりぎり眠くなった時 14.寝床で考え事をしない、ひたすら眠る
 以上、このようなことは簡単に出来ますので一度実践してみては如何でしょうか。
  No.136(2004年9月1日)

 高校野球もアテネオリンピックもそして暑い夏も終りました。感動・感激が熱波のように伝わってきた夏だったような氣がします。また、台風の被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。一日も早く回復されるように祈っております。秋田でも、沿岸地域の農作物や樹木への塩害が被害を拡大しました。
 さて、今月は中秋の名月です。ススキやお団子をお供えして月を愛でる、日本の代表的な催事のひとつです。
 お月様は、一年中あるのに秋の月、なかでも中秋の名月は美の最高のものとして愛され、昔の和歌にも「月々に月見る月は多かれど月見る月はこの月の月」という月尽くしの賛歌まであります。
 中秋の名月の日付は毎年変わり、今年は9月28日(火)になります。ちなみに来年は9月18日(日)です。毎年日付が変わるのは、現在の暦は太陽暦で、月のサイクルをもとにした昔の月暦(いわゆる旧暦)と違うためです。
 この月暦の日付でいうと、中秋の名月は8月15日。月暦では、7月〜9月までは秋、8月は真ん中の秋の意味で「中秋」というわけです。15日は十五夜に称されるとおり丸い月が現れます。
 秋半ばの月がどうして名月かというと、この時季の月は地平から45度〜50度というような低い高度で進んでいくため、とても見やすい高さにあるからです。秋の長雨にぶつかる可能性もありますが、澄んだ大氣のなかで美しく鮮やかな月を鑑賞できる絶好の機会なのです。
 結びに本店のみ、お彼岸を控え17日(金)〜26日(日)までの期間限定で特製「しとぎおはぎ」2個入り350円を販売致します。ご予約、クール便での発送も承ります。
  No.135(2004年8月1日)

 残暑お見舞い申し上げます。
 彩り豊かな秋田の夏祭りの季節がやってまいりました。
 さて、純愛小説というと躊躇するむきもあると思いますが、320万部を売り上げた「世界の中心で愛を叫ぶ」(片山恭一著・小学館¥1,470)という本をご存知の方も多いと思います。「セカチュー」とも呼ばれ映画、テレビでも放映されています。2001年春に発売された当初は、鳴かず飛ばずだったのですが、それを今の座に押し上げたのは読者層と同じ一人の新入社員だったそうです。
 その社員は、「一週間だけでも置いてください」と直筆の手紙300通を書店に送ったのでした。次第に同調してくれる店が増え、5万部を超えたところで会社が本格的に広告を打ち出しました。定められたゴールに向け競わせ、差を付け、選別するといった従来の人事管理をよそに対象への愛情を原動力にした15歳〜25歳中心の世代がメガヒットを打ち出したのです。大人世代が全く予想しなかったことが起きることとなりました。
 小説の内容は、白血病で恋人を失う主人公朔太郎の高校時代の短い恋を描いています。
 主人公が最もこころを許し頼りにしているのは、マンションで一人暮らしをしている祖父でした。祖父が、訪ねてきた高校生の孫に内緒でそっとビールやワインを飲ませるシーンがあります。そういえば、私の時代はこの役割は叔父さんだったように思います。親戚の中にちょっと変わり者の叔父さん、叔母さんがいて、親にも言えない相談にのってくれたりしたものです。
 今や叔父さんの役割をおじいちゃんが担っています。このようなベストセラー小説からも少子高齢化の社会や時代のトレンドが感じ取られます。このような時代、おれおれ詐欺にもくれぐれも注意して頂きたいとも思っています。
  No.134(2004年7月1日)

 当店の本支店は、国旗と社旗を掲げることが出来るよう工夫されています。祝日に国旗を掲揚することについては、その時々で一時期の不幸な歴史をことさらに「日の丸」や「君が代」に結びつける議論が起きています。
 国旗についていえば、すでに八世紀前半、元日の朝廷での朝賀に「太陽を形どった旗が掲げられた」という記録があるそうです。
 その後、武門の誉れや正義の旗印に使われるなどの経緯を経て、幕末の安政元年(1854年)、薩摩藩主、島津斉彬の提言と水戸藩の徳川斉昭の賛同を得た上で、幕府の船が外国の船と間違われないように『日の丸』を「日本総船印」に決定し、明治3年には、新政府が太政官布告で全国に「国旗」として通告したという歴史があります。
 祝日に国旗を掲揚するのをためらう人もいると思いますが、当店は開業以来、祝祭日は国旗を掲揚することにしています。農業県である秋田県のお米を使用することにこだわった店なので、こだわりを多く持とうという意味もありますが、なによりも自然な氣持ちで国旗を大切にしたいという思いからです。
 「君が代」については、明治2年、英国の軍楽長から「どこの国にも国歌が必要だ」という提言を受けた薩摩藩士が、和漢朗詠集にあった「君が代は〜」の歌を選び、最終的には宮内省の雅楽課が曲をつけて出来上がったものですが、林広守が作曲し、作詞者は不明といわれています。
 歌詞については「天皇が支配する世の中の繁栄を歌ったもので、主権在民に反する」という意見があります。しかし、日本という国は2000年の歴史の大半を天皇が支配したのではなく、天皇を象徴として国民的な統合を保ってきたのではないかと思います。アメリカ・中国・フランス・ロシア・イギリス等の国歌と比較しても、最も平和的な歌詞であることがわかります。
  No.133(2004年6月1日)

 ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、ロシア系のユダヤ人作家ショラム・アレイヘムの一連の小説「乳売りテヴィエ」や「テヴィエの娘たち」などをもとにしています。1964年にブロードウェイで初演されて以来、世界の多くの国々で上演され、好評を博しました。日本での初演は、1967年で、当時のニューヨーク・タイムズ紙は、「そのユーモアは的確に理解され、笑いのポイントでは、大きな帝国劇場は笑いの渦に包まれた」と伝えています。
 今日まで再演を繰り返し、日本での公演回数は1100回を越えました。初代は何と言っても森繁久彌が有名で二代目は西田敏行、三代目は市村正親です。日本版はユダヤの題材に日本的味わいを慎重に加え、ホームドラマの要素を強めています。主人公テヴィエの恐妻家ぶりや家族への思いやりと言った場面に日本人独特の情感が味わえるのではないかと思います。
 ところで、題名の「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、三角屋根の上で弾くヴァイオリンは、あまりにも不安定で難しいという意味を、人生や民族にたとえた表現だったことを今回初めて観て知りました。また、物語は「しきたり」を守りながら同時に「しきたり」を破っていく、日本語でいうなら「不易流行」ということを伝えているのではないかと思いました。
 秋田県民会館は、1839人収容できますが、満席でした。只、幕合いの時間に女性トイレに長蛇の列が出来ました。その列の脇をすり抜けてトイレを使用しましたが、このように女性が多く集まる施設には、女性トイレの増設を願いたいと痛感しました。行政のトップも観ていたので何かを感じてくれることを願っています。
  No.132(2004年5月1日)

 命
             宮越由貴奈(小学4年)
命はとても大切だ
人間は生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる 命もいつかなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にとりかえられない
何年も何年も月日がたってやっと
神様から与えられるものだ 命がないと人間は生きられない
でも「命なんかいらない。」と言って 命をむだにする人もいる
まだたくさんの命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから命が疲れたと言うまで せいいっぱい生きよう

〈お母さんの言葉〉
 娘は5歳の時、発病し11歳で亡くなりました。この詩は抗ガン剤治療や腎臓を片方取る手術に始まり、長野県立こども病院に移っての自家骨髄移植、そのほかいろいろなつらい治療を受けながらも入退院を繰り返していたころに書いたものです。
 テレビで流れる自殺のニュースや、一緒に入院していた友達の死。生きたくても生きられない友達がいるのに自殺なんて……そんな感じでした。それにちょうど院内学級で電池のことを勉強したばかりだったそうです。
 この詩を書いた4ヵ月後に娘は亡くなりましたが、これに書いた通り十分精一杯生きました。書くことがそんなに得意ではなかった娘の「命」という詩は、11年という短いけれども凝縮された人生の中で得た勉強の成果なのではないかと思います。
─角川書店刊「電池が切れるまで」より─
 昨年度の秋田県の自殺者は559名、人口10万人当りの比率では日本一になっています。色々な機関、関係者が懸命に防止対策に努めていますが、効果がなかなか現れないのが現状です。
  No.131(2004年4月1日)

 秋田県立脳血管研究センター所長、安井信之先生の著書 「ぶれいん・あたっく」(手術させていただきます)という本が話題になっています。脳卒中というテーマにもかかわらず県内の書店でよく売れているのは、医学の知識がない人にでも判りやすい脳卒中の症状や治療法、予防法、また先端研究施設であるセンター、いわゆる脳研での実例を通じて、万が一、自分や家族が患者になった場合をイメージできる内容になっているからだと思います。
 昭和30年代、脳卒中死亡率が全国一だった秋田県は本格的に治療予防に取り組むため、44年に脳研センターを設立しました。国内外の優秀な研究者と最先端の治療研究の成果を駆使し、一時は汚名返上となったのですが、6年前より再び高齢化と共に全国一になってしまいました。
 脳卒中の代表的なものは、脳の血管が詰まる「脳梗塞」、脳の中の細い血管が破れて脳の中で出血する「脳出血」そして脳の表面の血管にできたコブ(脳動脈瘤)が破裂して出血する「クモ膜下出血」です。折しも、長嶋茂雄監督が脳硬塞になり、今後の容態が注目されています。
 脳卒中は高齢者の病氣と言われています。発症の平均年齢は、30年前に比べると10歳近くあがっており、秋田県の脳卒中発症登録のデータによると脳硬塞は70歳、脳出血が65歳、クモ膜下出血が61歳になっています。また脳卒中全体では6対4で男性に多く発症します。ただし、クモ膜下出血だけは女性が6割でしかも圧倒的に60歳以上の女性に多いのが特徴です。
 ところで、センターの名前に「脳研」が入っている為か「紹介状がなければ」とか「どこかの病院経由でなければ診察してもらえない」というのは誤解で、24時間365日急患だけでなく外来も紹介状なしで診察を受けることができます。
 安井先生の存在は秋田県民にとって心強い限りだと思います。尚、この本は高校時代からの恩師、T先生より頂きました。三輪書店刊1,870円です。
  No.130(2004年3月1日)

 友人に警察官がいます。現在、県警本部の生活安全部で地域の事件を統括している、その彼から本通信(127号)でも取り上げましたが、「猫の福ちゃん」の犯人を捜査していると聞いてうれしくなりました。「福ちゃん」は、何者かにエアガンで8発も撃たれ、右目はアイスピックのような鋭利な物で突かれ瀕死の重傷でした。いぬ・ねこネットワーク秋田のボランティアや獣医の先生のお蔭で奇蹟的に一時持ち直しましたが、結局一命を救えず多くの人が悲しんだニュースでした。人間が犯した罪の氷山の一角といえるのではないでしょうか。
 犯人はいずれ人間を撃ってみたくなるかも知れません。世の中が騒げば騒ぐほど、行動をエスカレートするのではないか、と言うのが友人の話です。そして一匹の猫の虐待犯人を追うことで地域の安全が守られるのではないかと強く思います。ですから、必ず犯人を捕まえてほしいと激励してしまいました。
 全国各地で、またぞろ警察官の不祥事が報道されると反警察感情が燎原のように広まりますが、地域の安全と安心を地道に守っていてくれる警察官がいる事実も改めて認識する必要があるのではないでしょうか。
 秋田県は昨年、犯罪発生率が全国一低く、検挙率は全国第3位だったそうです。人口が減少しているからといってしまえばそれまでですが、一線の警察官と県警本部が一体となって犯罪を未然に防ぎ、事件を早期に解決しようとする姿勢が要因となっています。
 県民・国民から最後に頼れるのはお巡りさんだと尊敬を込めて言われ続けることこそが「安全・安心」に必要なことと思います。犯罪の起きにくい地域を目指すには、何よりも人間関係の成熟を図ることが大切です。
 結びに1997年9月に発足した「いぬ・ねこネットワーク秋田」電話018-868-4603 
http://home.interlink.or.jp/~eiko-oのご発展をお祈り致しております。
  No.129(2004年2月1日)

 いよいよ自衛隊がイラクに派遣されました。国を二分して賛否両論がありますが、隊員は命令に従わざるを得ません。隊員への反対のシュプレヒコールは何か虚しささえ感じます。
 ところで、自衛隊といえば前にも書きましたが、1999年11月22日航空自衛隊入間基地所属T33型ジェット練習機が入間川河川敷に墜落し隊員2名が死亡した事故がありました。この事故を現場近くの狭山ヶ丘高校の校長・小川義男先生は別の角度から見ていました。以下は、小川先生が事故に対し冷淡で批判的な記事を見て受験を控えた3年生に送った文章「人間を矮小化してはならなぬ」の要旨です。
 『先日の墜落事故で2人の自衛隊員が亡くなられました。二佐と三佐といいますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。二人とも脱出を試みましたが、高度不足でパラシュートが開かず地面に激突し命を失いました。以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が防大合格後、航空コースに進むというのを聞いて「あんな危ないものに乗るな!」と止めた事があります。「先生、戦闘機は旅客機より安全です。万一の場合脱出装置がついており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と彼は答えました。その安全な戦闘機に乗りながらこの二人の上級将校はなぜ死んだのでしょうか?それは彼らが自ら脱出を遅らせたからです。墜落現場は住宅や学校の密集地の近くであったため、彼らは高圧線にぶつかる程の低空になるまで操縦を続け、他に被害が及ばないことが確実になった時、初めて脱出装置を作動させました。47歳と48歳で、家族にとってかけがえもなく尊い父親でもあった二人は、あえて死の危険を冒し、他人の命と自分の命の二者選択を迫られ、彼らは他人の命を選んだのです。
 皆さんはこのような場面に遭遇した時、どんな選択をされるでしょう。私は思います、きっと皆さんも同じコースを選ぶと。人間はそのように作られています。人間はエゴイストであるなどと矮小化する必要はありません。警察官や消防士は逃げ遅れている人があれば、自らの危険を忘れ猛火の中に飛び込みます。母は我が子のため、父は家族のために命を投げて戦います。それが人間の本当の姿です。人は他人のために尽くす時に最大の生き甲斐を感ずる生き物なのです。』
 改めてイラク派遣の意義を考えたいものです。
  No.128(2004年1月1日)

 新年あけましておめでとうございます。本年も昨年同様のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。初めてのお客様にはご縁が続きますよう祈っております。
 さて、先月号の続き、「白」と「赤」に関するお話です。現存最古の歌集「万葉集」には6〜8世紀に作られた約4500首の歌が収録されています。その中で「色」が歌いこまれているものは562首あるそうです。更に分類してみると白が204首、赤は202首と白と赤だけで全体の72%にも達しています。日本人は古代からいかに白と赤を好んでいたかが判ります。 では、白とはどんな色を指しているのでしょう。
 第1に「神秘的なもの」、つまり「当時の日本人が不思議に感じたこと」や「信仰の対象に関係あるなんらかのもの」を表します。白鹿・白雀・白狐・白鳥・白馬・白虎などこの種のたとえは多くあります。第2に自然のままということを表す「しろ(素)」があります。これは自然そのままの色を「しろ」と示しているので、淡い黄色から濃い茶色を示す時もあります。白木の箱・白木づくり等に代表されています。
 次に赤について考えて見ましょう。
 先月号でお話ししたように日本人は「赤」を好み、中国人は「紅」を好むといわれています。古来より日本人が「赤」を好んだのは、色合いの問題よりも実は「赤」という文字に対して特別の共感があったと思われ、「何もない。はだかの。むきだしの」という意味を持っています。赤貧・赤誠・赤心・赤裸々等の言葉があてはまります。
 「あか」という色名は、「明るい」の「アカ」が語源です。日本の国土のほとんどは山地であり、少ない平地に寄り添って暮らす人々が毎年のように災害に襲われてきました。こうした厳しい風土の中で食べ物を貧らず、少ない食べ物を分け合い、少なくて乏しいことこそ「美」とする日本独特の美意識が生まれ、そうした意識が「白」と「赤」には込められているのではないでしょうか。赤と白が対抗状態になると紅白という言葉が使用されるのが通説らしいです。





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