秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

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  No.151(2005年12月1日)

 本年もあとわずか、この一年早く感じた人もおれば、遅く感じた人もおられることでしょう。喜びが続いた年であったり人に言えない程の悲しい年であったりでしょうか。易経の中に「天行健」(天の運行は健なり)という、故小渕元首相が言って少し有名になった言葉があります。人間の生には誰しも平等に限りがあります。自然の営みと比べると人間はどうにも小さな存在と言わざるを得ないと思います。
 さて、報道等でご存知の方も多いと思いますが、秋田市在住の雲雀英行(ひばりひでゆき)君14歳城東中学校2年生は、心臓に修正大血管転位症という難病を持って生まれ、今日まで懸命に病氣と戦っています。しかし、本年3月に余命1年弱であり、助かる道は心臓移植しかないとの宣告を受けました。現在のわが国では15歳未満の臓器提供を認めていないことなどから、海外での移植を決断することになりました。幸い、アメリカのデンバー小児病院での受け入れが決まりましたが、医療費・渡航費・滞在治療費などで6,000万円というとても個人では負担の出来ない莫大なお金が必要となります。
 そこで「ひでゆき君を救う会」(遠藤譲代表)が設立され、多くの善意にすがることになりました。店頭での募金には少し躊躇しましたが、当店も募金箱を設置してからはお客様にも賛同して頂き、当社グループ全体でもまとまった金額になりました。若い人の命を助けるのになぜ日本で移植できないのか疑問に思うのと同時に、多くの中学生や関係者の想いが県民始め全国の人々の共感を呼び、目標額を大きく上回る結果となりました。善意の中には、心臓移植の半ばで亡くなった方々の基金から100万円、地元企業、そして城東中教師の同級生で俳優の柳葉敏郎氏からもありました。英行君の限りない未来を祈るとともに、第一歩を踏み出す勇氣があった「救う会」の方々に敬意を表したいと思います。
 皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願い致します。
  No.150(2005年11月1日)

 錦繍も終わりに近づき、遠くに見える山々が白くなり始めるのが今月です。以前、福島県で全国植樹祭が開催され、天皇陛下がある町に行啓された時、「本年の秋色(しゅうしょく)はどうですか?」と町長にお尋ねになりました。町長は、陛下が若い人の就職にまでご心配されているといたく感激し、「ことのほか順調です。」と応えたそうです。しかし、のちに宮内庁の職員より紅葉のことだと知らされ汗顔の至りだったそうです。
 季節を表現する言葉が日本にはたくさんあります。これが文化だと思います。天皇陛下のおそばには、なんとも言えない雰囲気と緊張感があり、それでいてとてもやさしさを感じる不思議な体験をしたことがあります。ですから、町長の氣持ちはよくわかります。今月は季節の変り目、皆様には健康に充分氣をつけられますようお祈りしております。
 当店のお客様には、ご高齢な方が多いので渡辺昇一先生の文章の一部をご紹介しておきます。病氣でしばらく入院すると、老人でなくとも歩行が少し困難になります。寝てばかりいるとたちまち脚の筋肉が落ちるからです。岸信介元首相は、健康長寿の心得として「転ぶな、風邪を引くな、義理を欠け」という3ヵ条を薦めています。なるほど、高齢者に風邪は悪い。義理で友人の葬式に出席し風邪を引いてしまい、それが元で亡くなったという話も耳にします。岸元首相の前の首相だった石橋湛山(たんざん)氏は、自分の首相就任を祝う、母校早稲田大学の集まりに出席した時に風邪を引いて亡くなられたそうです。歳をとったら義理を欠け、特に寒い時はそれが大切というのは岸さんの身近な体験に基づくものであったに違いありません。
  No.149(2005年10月1日)

 昨年夏、北海道を訪れた際、富良野を見て旭川の旭山動物園を見学する予定でしたが、お菓子屋さんを見ている間に時間がなくなってしまい、見ることができませんでした。以来、旭山動物園の記事を見るたびに残念な思いが募り、さらにその思いは「旭山動物園のつくり方」という本を読んで益々強くなってきました。
 現在の動物園や水族館ブームのきっかけは、なんと言っても旭山動物園でしょう。1967年日本最北に開園し、94年の寄生虫感染による動物の死亡事件後、しばらく不遇の時期を過ごすことになります。事件後50〜80万人の入場者数は、28万2,788人と最盛期の半分にも満たない入場者数になってしまいました。市議会では、動物園不要論まで持ち上がったそうです。
 しかし、現市長の菅原功一氏が初当選し、公約のひとつに「テーマパーク構想」が盛り込まれていたのが幸いしました。「子供たちが本当の命を知らない。だから垣根のない中でいろんな命が一緒にいる空間をつくりたい」という考えがありました。これが“命を伝える”ための第一歩でした。
 「ペットや家畜は、人間がつくった、人間がいなければ生きていけない動物で野生動物とは違う。そこをわかってもらいたい」とシロクマやアザラシが来園者に好奇心を示す様子が見られる「行動展示」を始めました。この「行動展示」は園長はじめ職員の一致団結から生まれたものです。動物園と水族館の複合施設として、米国シンシナティ市の世界屈指の動物園と肩を並べる日も近い事でしょう。
 握力400kgの雄のオランウータンの空中放飼場、見てみたいと思いませんか?
  No.148(2005年9月1日)

 プロ野球巨人戦のナイター中継の視聴率が低迷しています。巨人がスター選手ばかり集めても勝てないのが原因と言う評論家もいますが、今はサッカー、バスケット、ゴルフ、水泳、柔道、K1など観戦するものが多いからではないでしょうか。女子ゴルフの宮里選手をはじめ若い人たちの台頭はめざましく、若くして精神的にもすぐれ感動を与えられる人が実に多くなったと再認識させられます。
 そんな中、昔から人氣が衰えないスポーツの代表は、なんと言っても高校野球です。高校生の野球だからこそ人氣があるのだし、筋書きのないドラマが多くの人を感動させています。今年の夏は、駒大苫小牧が連覇しましたが、不祥事が水を差し、明徳義塾同様、選手が氣の毒に思われます。なぜ不祥事が再発するのでしょうか。人は経験によって変われる唯一の動物ですが、努力が報われるスポーツの一つとして感動を与えてもらいたいと思っています。
 秋田県代表の秋田商業高校は甲子園で勝てなかったけれど県大会での金足農業高校との感動的なシーンを多くの観客が目撃しています。劇的な逆転サヨナラで秋田商業が優勝した秋田大会閉会式後のことです。敗れた金足農ナインが自校の監督を胴上げしました。続いてもっと驚く行動に出たのでした。
 それは、秋商の小野平監督を胴上げしたのです。いわば敵将を、これ以上ない形で称えたのです。選手同士が握手をしていたので小野監督がねぎらいの言葉をかけたら「胴上げさせてもらっていいですか」と言われたそうです。まさに高校生の野球だったのです。小野監督は、その著書の中で述べています。「高校野球の練習時間は長すぎる。練習がきつくてつらい。自分の現役時代ではいつ止めてもおかしくなかった。ただ当時、自分に止める勇氣がなかった。」と。1年生は朝6時半に登校し部室の掃除やグランドの整備、一方上級生は授業の15分前に悠々と登校。「野球をやりたいけれどこれ以上は続けられない。」こんな氣持ちにさせる練習はやらせたくないと、先輩後輩の理不尽なしきたりや、何年もの間、意味もなく存在してきた伝統を排除していったのです。そして6時半に来る事に何の意味があるのか、選手の母親達の気持ちをも思ったそうです。こんな監督のいる高校に何とか甲子園で1勝をしてもらいたいと思います。
  No.147(2005年8月1日)

 大人になるにつれて、人から呼ばれて返事をするという行為は、なかなか難しい。表彰式などの公の場では、前の人が返事をしていないのに自分の番で「ハイッ!」と返事をするのは恥ずかしくもなる。「目立ちたがり屋」と思われてはいないか?それでも、続く人が、小さな声でも連られて「ハイ」という声を聞くのはうれしい。県議会に出席する機会があったが、返事をする議員は滅多にいなかった。
 「人から呼ばれたら、返事をする。」この当然すぎる程、当然で簡単なことを出来ない人が世の中には意外と多い。何か氣に入らないことがあったり、相手が嫌いな人だったりすると、呼ばれても返事をしない。忙しい時は聞こえないふりをする。また返事をしても、蚊の鳴くような声だったり、相手の方を見ないで横を向いたままだったり。身近な所では、行き先を告げても黙ったままのタクシードライバーなど。
 返事をしなければ、相手を無視したことになり、人と人とのコミュニケーションは始まらない。挨拶や返事は、相手を認め、尊重する礼節の第一歩であるから、人間関係を大切にする人は、この基本中の基本を決して手抜きはしない。
 「ハイ」と言う短い言葉には、明るく澄みきった響きが宿り、周りを爽やかに清々しくする力が秘められている。「ありがとう」と共に、日本の美しい言葉のチャンピオンと言って良いと思う。
 また、応答の時の返事として使われるばかりではなく、他に重要な意味や用法がある。それは、物事を肯定し、受容する「ハイ」である。
 大地は、天から降り注ぐもの全てを受け入れる。このことは、受容する「ハイ」に似ている。「天行は健なり、自ら彊めて息まず」樂茶碗で有名な樂吉左衛門氏の講演を聴きながらこんなことを考えた。残暑お見舞申し上げますと共に、どうぞくれぐれもご自愛下さい。秋田では夏祭りが終わると一斉に秋風と秋色の季節到来です。
  No.146(2005年7月1日)

 日本テレビに勤務する成田真由美さんのお話です。彼女は、中学1年の時に骨髄炎により下半身麻痺になりました。しかし、努力の末、水泳で1996年アトランタパラリンピックの日本代表となり、100m、50m自由形で世界新記録を樹立し、金メダルの他、銀2個、銅1個を獲得して多くの人々に感動を与えました。
 ところが、日常は困ったことの連続だそうです。車椅子を使っていると、足が不自由なことはわかってもらえますが、周囲には目に見えない病氣や障がいのある方がたくさんいます。心臓が悪くペースメーカーを入れている人、人工透析を受けている人、精神障がい等実に様々です。
 ある時、彼女の友人が語りかけてきたそうです。「成田、お前はいいね。足が悪いことわかってもらえるもんね。」何があったのと尋ねてみたら、「朝の満員電車で座席に座っていたら怒られたんだよ」「足が悪いこと言ったの?」「勿論言ったよ。でも、『今の若者はそうやって嘘をついてまでも座っていたいのか』って言われて何も言い返せなかった」と淋しそうな顔で話したといいます。
 また、その友人と一緒に電車に乗った時のことです。シルバーシートに座っていたら二人を指差して陰でコソコソ言っている人が見えたそうです。そして、「あなたたちシルバーシートの意味を理解しているの?」とすごい勢いで言われたそうです。成田さんは車椅子に乗り移りましたが、その人は、彼を覗き込むように「あなたは?」と言いました。成田さんは悔しくなり、彼に義足をはずすように言い、「彼には片足がありません。」と彼女は義足を持ち、その人の前に置きました。相手はびっくりした顔で「い、い、今の義足はよくできているのね。」義足の善し悪しなんて聴いていないのです。目に見える病氣や障がいではなく、見えないところでたくさんの苦労をしている人がいることを知ってほしいのです。
 私は彼女のこの話を聞いて、「はっ!」としました。
  No.145(2005年6月1日)

 4月の連休前にJR西日本の大惨事が起きました。まさに事故はいつ起こるか、いつ自分が被害者になるかわからない社会になりました。
 事故に遭われた方々は、年齢にかかわらず生きておられればいろいろな人生を歩まれたことでしょう。特にお子様を亡くされた親御さんの心情を思うと誰しもいたたまれなくなります。被害者のご家族がこれから心の深い傷を癒すのにどれだけの長い時間がかかるかわかりません。心が疲れ体調までもが影響を受けておられる状態が少しずつでも快方に向かわれることを祈らずにはいられません。
 さて、先月22日の早朝4時30分に、所用があり新潟に向けて出発しました。安全に無事着くよう氣をつけてゆっくり走行していました。ところが、同じような時刻に宮城県多賀城市八幡の国道45号線の交差点で大きな事故が起きていました。横断歩道を渡っていた仙台育英学園高校の生徒さんの列に、赤信号を無視した四輪駆動車が突っ込んだのです。ウォークラリーに参加していた1年生の男女3人が頭などを強く打って死亡、生徒らが22人が重軽傷を負ってしまいました。
 事故を起こした26歳の会社員は「酒を飲んで居眠り運転した」と言い、直前の40分前まで仙台市の飲食店で6時間程飲酒し、27歳の男性の友人と自宅に帰る途中だったとのこと。同乗者の責任も厳しく問われることになります。
 全国各地で飲酒による事故があり、多くの被害者、家族の悲しみはなくなりません。処理する警察・消防関係者も大変です。秋田県でも昨年1年間、お酒がらみで484件の行政処分がありました。度数が低いから、ほんの少しだからといっても運転は危険なのです。運転者においては、一滴も駄目という決断が大切です。さらに周囲の人間も飲酒運転抑止に充分氣を配るべきでしょう。
  No.144(2005年5月1日)

     心が壊れるほど苦しくて
     優しい言葉をかけてくれる人
      探したけれど 何処にもいない
    ふと思う 探すような人間やめて
     優しい言葉をかけられる
      そんな人間に なりたい

 この詩は、千葉県にある八街(やちまた)少年院で暮らす少年たちが日々の生活を詠んだ生活詩集「若い木の詩」にある19歳の少年が書いた「なりたい」という題の詩です。
 少年は両親が不仲で、自宅に帰らぬことが多くなり「優しい言葉」を求めて町を彷徨い歩きました。そのうち寂しさを紛らわそうとつい麻薬に手を出しこの少年院に送致され、少年院の面接官と出会い、閉ざされたこころを開いていきこの詩を書きました。
 この詩を読んだ時、1人の少年が大転換を成し遂げたことに感動を覚えると共に少年のこころをここまで変えた面接官の苦労と努力に敬意を払わざるを得ない心境になりました。八街少年院の文芸クラブで少年たちに詩を指導しているのは、元教師の高橋孝治さんで、詩をつくることが少年たちの更正に役立つそうです。「若い木の詩」はインターネットでも見ることができます。
 少年院は、家庭裁判所から保護処分として送致された少年に対し、社会的不適応の原因を除去し、健全な育成を図ることを目的として矯正教育を行う法務省所管の施設です。
 また、少年鑑別所は少年院とよく間違われてしまうのですが、主として家庭裁判所から監護措置の決定によって送致された少年を最高8週間収容し専門的調査や診断を行う施設で全国に52箇所あります。
 少年非行は、少年たちの「手本」となるべき大人が、悪い「見本」となっているのが原因の一つではないでしょうか。
  No.143(2005年4月1日)

 別れの3月、出会いの4月と言いますが、今月の中旬から下旬にかけて当地の桜は一斉に満開になります。
 角館の桜は、例年4月下旬からゴールデンウィークの始め頃までがピークで、角館店がある青柳家では、600種もの花や木が四季折々の表情を見せています。特に「青柳八重紅しだれ桜」は、普通の桜より花びらが1枚多く、農林水産省より日本に1本しかない桜として認定されています。秋田ではこの桜の季節が本格的な春といえるようです。
 桜と言えば、自衛隊のマークにも取り入れられていますが、先日イラクに派遣された自衛隊秋田駐屯地・第21普通科連隊第3中隊長の講演を聴く機会がありました。派遣に反対されている人も多くいますが、実際に無事帰隊された方々の話を聴くと大変なご苦労をされてきたのだなと痛感しました。サマーワは、ムサンナ県の一都市で人口が14万人で、メソポタミヤ文明発祥の地として有名です。日中の氣温は49℃、直射日光下は59℃にもなり、最低氣温は16℃。12月は朝30℃、日中は60℃の厳しい氣象条件だったそうです。 また、禁酒の国なので、ノンアルコールのビールを飲んでいたそうですが、実際イラク人の中には隠れて飲む人もいるようです。それから、一夫多妻制なのでやたら結婚式が多く、部族社会の複雑さや部族間の駆け引きによる争いが紛争に結び付いているとのことでした。
 派遣中は、竿燈やねぶたの郷土芸能の披露やリクリエーションの開催等、涙ぐましい程、氣を使い苦労してこられたことと感じました。ただ、イラクの子供たちは日の出、日の入りをじかに見ているせいか、瞳がすごくキレイで、底抜けに明るいそうです。この子供たちがこれからの時代を担うのだと思いました。「油断せず助け合って真心支援」のスローガンの下、任務を全うされたと結んだ講演でした。
 秋田のお菓子もイラクで役に立ったとのこと、皆無事に帰られて経験を生かしていることにうれしくなりました。
  No.142(2005年3月1日)

 春の足音が聴こえてきそうな天候が続く時もありますが、秋田の冬はまだまだで、4月上旬まではスタッドレスタイヤを取り替えることが出来ません。
 こんな季節の代表的な郷土料理といえばなんといっても「きりたんぽ鍋」でしょう。先日、東京で「きりたんぽ鍋」を食べてきました。なにせ、「きりたんぽ鍋」には絶対かかせない「比内地鶏」の焼き鳥チェーン店ですから、鍋の説明も堂に入ったもの。聴きながら「私は秋田から来ている」と言いそびれてしまいました。味は、やはり東京人に合った薄味であまり地鶏のダシは出ていないものの、初めて食べる友人は「おいしい、おいしい」と言って食べてくれたので良かったと思っています。やはり、県外で郷土料理が褒められるのは悪い氣がしません。鍋の終わりに「残ったダシで雑炊かウドンはいかがですか?」と勧められたのには驚きました。秋田では、きりたんぽのあとにまたご飯を食べることはないからです。そういえば、熊本の友人に贈った時もご飯と一緒に食べて美味しかったと話していました。
 比内地鶏は、秋田県が地鶏肉の品質を保証する国の特定JAS認定機関になっているにもかかわらず、生産団体からは申請が無いそうです。それはもともと県の定める規格よりも数段高いレベルで飼育・生産しているため、低い規格に合わせる必要がないからです。この辺が人氣の秘密ではないかと思っています。
 ここ10年間東京の百貨店では、比内地鶏は薩摩地鶏・名古屋コーチンより高値で販売されています。年間出荷羽数1万羽から50万羽を超えるマーケットになりました。単なる「きりたんぽ鍋」の具材から脱皮し、メジャーになったようです。只、焼き鳥は良しとして「きりたんぽ鍋」は是非、地元で地酒と共に本場の味を堪能してもらいたいものです。先のチェーン店では、秋田のお酒のみ品切れで人氣の高さを表していました。
  No.141(2005年2月1日)

 昨年1年間の秋田県内の刑法犯認知件数、いわゆる犯罪の数は前年比9.9%減の9,565件で、8年ぶりに1万件を下回りました。人口10万人あたりの犯罪発生率は秋田県が全国一低く、安全で安心して暮らすことの出来る地域になったと言えると思います。ちなみに2位は岩手県、3位は長崎県です。逆に犯罪発生率が高いワースト3は、愛知県、埼玉県、大阪府と続き、経済活動が活発、人口減少がない、外国人が多いなどの特徴があります。
 しかし、安全で安心して暮らせることは、住み続ける上で非常に大切なことです。秋田県の認知件数のうち検挙件数は4,589件(検挙率48%は全国トップ)で、検挙人員は2,653人、このうち少年は767人で20.6%のダウンでした。窃盗の60%は少年犯罪なので2割もダウンさせたのは、警察はじめ学校・各種関係団体の努力と評価できると思います。また、少年の喫煙も減少に転じています。社会的な禁煙ムードの高まりと共に高校の教員室も禁煙になり、さらに今春からやっと県立高校の敷地内全てで禁煙に踏み切るそうです。
 その一方で、オレオレ詐欺、振り込め詐欺の被害は132件で被害額は2億円を超えました。「何でだまされるのか?」という人もいますが、イザとなるとその迫真の演技で、知らないうちにだまされてしまうのだそうです。架空請求など匿名性の高い詐欺事件が多発しています。このような事件の犯人検挙には、大変な時間と労力が必要とされます。
 このほか、暴力団の検挙は158件で前年より2倍に増えました。私たちがいち早く防犯意識に目覚め、家や車の施錠を徹底することによって犯罪の発生を未然に防ぐことができます。車中のバックや金目の物は外から見えないようにするなど配慮すべきです。ともあれ、皆様が犯罪被害に遭わないように、そして交通事故の被害者・加害者にもならないことを祈っております。
  No.140(2005年1月1日)

 新年あけましておめでとうございます。本年も安全で美味しい粢菓子をお届けします。どうぞ、宜しくご愛顧の程お願い申し上げます。
 昨年末にある講演を聴き大変感銘を受けましたのでご紹介したいと思います。世界遺産にも選定された秋田・青森両県にまたがる白神山地を乱開発から守った鎌田孝一さんのお話です。10年以上の歳月をかけて白神山地を守る運動は、平成13年7月にNHKのプロジェクトXにも取り上げられました。
 昭和35年、高度経済成長期に写真店を経営する鎌田夫妻が白神山地の麓に引っ越して来ました。鎌田さんは山登りと写真が趣味です。病弱な奥様の為に植物などの写真を撮っては見せて喜ばせていましたが残念なことに奥様は他界されています。白神山地は秋田県側4,300ha青森県側12,600haのブナ林が広がる山地です。
 住み続けて20数年が経った頃から林野庁、秋田・青森両県は林道建設の為、白神山地伐採計画を立てていました。経済効果か自然環境保護かの決断を迫られ、経済優先に決まってしまいました。ここから鎌田さんの闘いが始まったのでした。歴史が決断の成否を決めると言っても当時の圧力は、今では考えられないものでした。実際、写真店を経営している鎌田さんに「工事現場写真」の現像プリント依頼は一切なくなり仕事は半減しました。過疎からの脱却を目指し沸き立つ計画は、一氣に加速しました。反対運動の推進者たちには工事業者・行政・隣町の町長までもが圧力や脅しをかけ、解雇された人もいたそうです。
 しかし、一方で鎌田さんたちへの支持は、秋田・青森両県は勿論、全国へ燎原のように広がり1万数千もの意見書が集まりました。日本自然保護協会という組織も活動しましたが、ひとりが第一歩を印す活動をしなければ地域の保全は出来ません。その地域に住んでいる事と生活している事は、ニュアンスが微妙に違います。地域住民は、第一に地域の人間を理解し、評価することから始めなければならないと痛切に思った講演でした。




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