秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂
一乃穂 一乃穂 お気に入りに追加 E-MAIL 一乃穂
一乃穂 ネットショップ 一乃穂 しとぎばなし 一乃穂 一乃穂通信バックナンバー 一乃穂 一乃穂トップページ 一乃穂
一乃穂

 


  No.163(2006年12月1日)

 黄金の稲穂の波が消えた晩秋の田んぼは、少し寂しく感じられます。秋田はもう冬に入ってしまいました。朝夕の寒さは本当に体に浸み入るようです。こんな時、温泉のあふれ出るお湯につかりたいなと思ってしまいます。
 温泉といえば、先月の秋田さきがけ新聞のコラムで笑えたのですが、方言の使い方でこんな例がありました。
 ある夫婦が、旧婚旅行で東北の温泉に出かけた時のことです。お湯もサービスも最高だったのですが、ひとつだけ氣になったことがあったそうです。夕方、散歩に出かけようとしたら、旅館の玄関で番頭さんが「じいさん、ばあさん、お出かけ」と言うではありませんか。
 決して若くはない夫婦ですが、少しひどすぎるのではないか!と番頭さんに注意すると、本人はそう言ってないとのこと。あとでわかったことですが、その夫婦の部屋の番号は13番。「ずうさんばんさん、お出かけ」と言ったのでした。方言には誤解がつきものですが、現代では地域に伝わる方言は独特の響きと表現力に富み、何とも魅力があるものです。旅先で土地の言葉に出会うと豊かな氣分になると話す人もいるくらいです。秋田わか杉国体を来年に控えている本県では、方言で積極的に話そうというキャンペーンが始まろうとしていますが、場所、相手を考えて使いわけした方が良い時もあります。
 言葉はコミュニケーションをとる重要な表現方法です。方言を大切にしながら相手にしっかり伝わる話し言葉に更にみがきをかけたいものです。皆さま、どうぞ良い年を迎えてけれな!
  No.162(2006年11月1日)

 錦繍の候となり、中旬頃までは紅葉が見ごろですが、朝夕は格段に寒くなりました。冬が近づき、昨年のような大雪を心配する方も多いのではないでしょうか。雪は幻想的ですが、毎日の雪かき、交通マヒは益々地域経済を遮へいさせ、人々の体力を奪いとる一面もあります。
 さて、先般、血液が不足氣味という県赤十字血液センターのリーフレットにこんな文章が掲載されていました。このメッセージは、兵庫県の女性がご長男の闘病経験を輸血ルームのメッセージ帳に綴ったものです。
〜「アンパンマンのエキス」〜
 私の4歳の長男は小児ガンです。10か月の闘病生活の末、亡くなってしまいました。その間、皆様の献血のおかげで安心して治療を受けることができました。本当にありがとうございます。あの子は輸血されると元氣になることを知っていて「アンパンマンのエキスだぁ〜」と言っていました。
 一時は毎日のように輸血させていただきました。輸血が必要な時も「今、足りないので待って下さい」と言われ、祈るような思いで待っていた事もありました。届いた時は本当にうれしかったです。献血していただきました皆様になんてお礼を言ったらいいのか。ありがとう!ありがとう!
 医療スタッフと皆様のおかげで生きながらえる事ができてどんなに「ありがとう」を言っても足りません。今でも病院では、多くの子供たちが輸血を待っています。これからも輸血をお願いします。もちろん私も行きます。子供たちの笑顔が消えないように祈っています。(以下略)〜
 このメッセージが広がり献血の輪が全国各地でさらに大きくなっていくことを願ってやみません。当店のスタッフも11月に行われる社団法人秋田南法人献血キャンペーンに毎年参加しています。
  No.161(2006年10月1日)

 秋田市の中心部にある千秋(せんしゅう)公園は、東北でも名園と言われています。これからは紅葉が楽しめますが、春は緑濃く、桜やつつじが咲き誇ります。周辺には、1日1,500人以上の入館者がある市立中央図書館明徳館・平野美術館・佐竹資料館・県民会館等と2つの高校があり、秋田市の文化教養ゾーンを形成しています。
 慶長9年(1604)この地に久保田城が落成しました。城と言えば天守閣がそびえ、がっしりした石垣が連想されますが、この城はどちらでもありません。本丸の囲いは、土手、その上に多門長屋と板塀、板塀の用材はクリ材で城というよりはちょっと大きな豪族の屋敷といった感じだったようです。石はほとんど使わず、もっぱら塀と土塁を用いる築城法を基本に、各所に施されている防御上の配置と工夫は、水戸城のそれと酷似していると言われています。
 佐竹氏が、徳川家康の命により秋田に転封となったのは慶長7年(1602)のことで、時の当主義宣(よしのぶ)はまだ33才の若さでした。対外的には石田三成との関係が深く、また三成と氣脈を通じた会津の上杉景勝(上杉兼信の養子)とは父の代よりのつき合いで、秀吉、三成、景勝の陣営に加わっていたのでした。
 全国を統一した秀吉が亡くなると、家康は徐々に諸大名を配下に入れ、慶長5年9月15日にとうとう関ヶ原の戦いが始まります。この戦いで家康は大勝し、徳川時代の幕開けです。家康に弓を引いた大名の処分はすぐに行なわれ、清和源氏の流れをくむ佐竹氏は、常陸(水戸)54万石より秋田20万石に転封されたのでした。秋田には佐竹氏なりの文化や技術が数多く、代表的なものとしては、秋田蘭画や佐竹三十六歌仙があります。銘菓秋田諸越も佐竹氏時代から300年を経ています。又、秋田市は常陸太田市と姉妹提携をし交流が続いています。
 千秋公園には、その歴史を感じさせる数々の史跡が残っています。
  No.160(2006年9月1日)

 毎年8月下旬に行われている、秋田の風物詩のひとつに大曲全国花火競技大会があります。町村合併で今は大仙市と言いますが、この大会は大曲の方が海外にも響きがいいようです。特に本年は第80回記念大会になり、内外から75万人が人口6万人の街に押しかけました。桟敷や会場付近の土手は、以前は陣取り合戦さながらで、早い人は3日も前から確保する熱烈なファンも多くいました。1万5,000発の花火の効果は、見る人をこうも魅了するのかと驚いてしまいます。
 花火は黒のバックに絶妙のコントラストで、余韻を残しながら数秒後に消えていきます。付近は高層ビルもなく打ち上げる高さも充分で、100万人を集める東京隅田川の花火より良いという観光客も多くいました。スターマインの大きさは直径700m高さ650mにもなります。工夫された創造花火など全国屈指の花火師のコンクールとしても注目されています。
 大会は午後6時50分から始まり、午後9時20分頃花火が終わった直後に帰ろうとすると、50キロの道のりは高速でも3時間かかり、帰宅した頃には、日付が変わろうとしていました。途中で帰る人も多くいました。大仙市内はもとより、秋田市内のホテルも、満室状態です。
 しかしこの年々増える観客に対して、人や車の誘導やトイレ対策、ゴミ処理に関しては、一応のノウハウがあり、テントが飛ばされ軽傷者が出ましたが、今まで重大な人身事故が起きていないことは自慢出来ます。警備の最前線には、ボランティア・警備会社はじめ県内各警察署からの応援で雑踏警備に当っています。無事故を標榜する実行委員会など関係者のプレッシャーは大変なものでしょう。全国の警備関係者の視察もあり、ひとつの手本にもなっています。夏の夜の光の競演を一度見てみませんか?全国一ですよ!
  No.159(2006年8月1日)

 残暑お見舞申し上げます。今月は秋田でも夏祭りが各地で行われ、県下に大勢の観光客が訪れます。
 学校も夏休みになりご家族で旅行される方も多いことでしょう。事故などに注意して楽しまれるようにお祈りしております。
 ところで、『致知(ちち)』という月刊誌をご存知でしょうか?東京港区にある致知出版社から1,020円で出版されている本です。その7月号に秋田市立西中学校教諭の三戸学(さんのへまなぶ)通称学ちゃん先生の記事が載っています。三戸先生は昭和51年秋田市生まれ。山形大学を卒業後、平成12年3度目の挑戦で秋田県教員採用試験に合格。平成16年にはアメリカアーカンソー州へ海外自主企画研修に派遣されました。現在は、公立中学校の数学教師として、日々全力で取り組んでおられます。
 実は、学ちゃん先生は、出産時のトラブルから、身体障がい者一級一種の脳性マヒ障がいとなりました。お母さんの希望により普通校で学ぶ中、教育の重要性を実感したそうです。
 先生のモットーは「やればできる」です。身近にそんな先生がいらっしゃると知り、早速授業を見学させていただきました。生徒のしっかり聴こうという姿勢にまず感動しました。また、先生からは、一生懸命教えるという意氣込みが伝わってきます。先生と生徒の間には深い絆があり、生徒たちは皆、思いやりとやさしさにあふれた顔で授業を受けていました。
 さらに、先生を受け入れた秋田市教育委員会や、各中学校の校長先生の理解度はすばらしいと思いました。
 先生が18歳の時に書いた詩があります。「母に捧げる詩」より抜粋し紹介します。
 「僕はお母さんを背負うことが出来ない。なんて親不幸な息子なのでしょう。結局、僕には精一杯生きていくしかないのです。だから定められた運命を全うします。どんなことがあっても…。」
 母の手ひとつで育てられた感謝の詩です。
  No.158(2006年7月1日)

 暑中お見舞い申し上げます。短い秋田の夏が始まりました。8月3日〜6日までは、最大のお祭り、秋田竿燈まつりが開かれます。すでに8月5日の観覧席は完売したようです。
 さて、本通信では社会的事件や事故などの話題は極力避けてきましたが、藤里町の事件は全国に連日トップで報道され、秋田県民として悲しく、残念でなりません。地元の「子供を守る会」の会員の皆さんからは、「われわれの活動は何だったのか」という無力感と自責の念が漏れたと報道されましたが、私はこのような事件が発生したとしても、「子供を守る会」の活動は有効に機能していたし、これからも有効な活動であることには変わりはないと思います。
 秋田県や長崎県は、全国的に見ても犯罪発生率は最小で検挙率はトップクラスですが、凶悪な犯罪が起きる可能性は充分にあることを今回再認識させられました。
 理論的には、犯罪の検挙を100%達成することは可能ですが、生活を営む限り発生を0%にすることは不可能なことと思います。
 犯罪を抑止するためには、犯罪者から誰を守るのかを考え、出来ることから組織的に進めていくことが大切と思います。
 さて、今月は、本店・登町店で発送料割引、無料の特別サービスを実施しておりますので、是非ご利用くださいませ。
  No.157(2006年6月1日)

「2007年問題」皆様はご存知でしょうか?団塊の世代の第一陣が60歳の定年を迎える年です。750万人とも言われている団塊の世代の定年は、世の中のトレンドを変える源泉となるのではないでしょうか。
 その世代が青春を過ごし、少年期だった頃の日本は貧しくとも活気と夢にあふれていた時代だったと思います。
「Always(オールウェイズ)─三丁目の夕日」という西岸良平の原作(30年間で1,400万部)の映画をご紹介しましょう。
 昭和33年、東京タワーが完成するこの年、東京下町の夕日町3丁目には、人情味あふれる住民たちが賑やかに暮らしていました。ある日、鈴木則文と妻トモエ、息子・一平が暮らす自動車修理工場鈴木オートに集団就職で上京した六子がやってきます。ところが立派な会社を期待していた六子は失望してしまいます。その夜、建設中の東京タワーを見ながら、ひとり2階で泣いている六子に一平があるいい事を教え元氣づけます。それは、鈴木家にもうすぐテレビがやってくるということだったのです。
 一方、何かと則文と反発しあう駄菓子屋の店主・茶川竜之介。芥川賞の最終選考に残ったことはあるものの、今は冒険小説を執筆し、細々と暮らしているしがない小説家です。ある日、そんな彼が恋心を抱く一杯飲み屋のおかみ・ヒロミのところに引き取り手のない少年・淳之介が連れられてきます。茶川は酔った勢いで淳之介を預かることを承諾してしまいます。その後、淳之介の母がわかったものの失望するシーンやお金を借りてまでもXmasプレゼントを淳之介にする茶川のやさしさやケースだけの見えない婚約指輪に喜ぶヒロミの思いやりなど感動的な場面が続きます。
 夕日をバックにした東京タワーを見ながら則文が言います。「きれいな夕日だね。明日もあんなキレイな夕日になるかな?」すかさず一平が叫びます。「なるよ!明日もあさっても10年後も20年後もキレイな夕日はあるんだよ!」と。これがラストシーンです。
 テレビ・冷蔵庫・洗濯機が、目標の生活、豊かではなかったけれど明日への夢があった時代を覚えている人たちがいよいよ還暦です。
  No.156(2006年5月1日)

 桜の季節になりました。秋田県内の桜は、ゴールデンウィーク過ぎまで楽しめるようです。大潟村の桜と菜の花の競演の見ごろは10日頃です。
 さて、最近のベストセラーに、数学者の藤原正彦先生が書いた「国家の品格」(新潮社)という本があります。その中に、「桜の木は虫がつきやすく太いものもあれば肌がガサガサしていて、花が咲かなければ価値がなく引っこ抜いてしまいたいくらいだ」という記述があります。さらに「日本人は桜が咲くこの数日間に無上の価値を見い出しています。短い期間にもかかわらず潔く散っていく桜の花に人生を投影し、そこに他の花とは別格の美しさを感じとっているのです。」とも書いています。だからこそ桜を大事にし「花は桜木、人は武士」と昔から持ち上げられてきたのです。この日本人の情緒性は、諸外国にはなかなかわからないと同時に理解されていません。日本人であっても最近、情緒性のない行動をとる人が多いと藤原先生は指摘しています。
 さらに、昭和初期イギリスの外交官夫人が日本人の庭師にこのように感動していたそうです。イギリスの庭師の場合、たとえば「楓を庭のあの場所に植えてくれ」と注文すると、いわれた所に植えてお金をもらって帰ってしまう。ところが日本の場合、家主の言うことを聞かず、あそこに植えた方がいいなどと逆に提案してくる。そして一本の木をあらゆる角度から眺め、散々見た後、最も美しく、調和のとれた所に植えていく。まるで日本の庭師は、オーケストラの指揮者のようだと絶賛しています。
 これから、ますます「美しい情緒や形の普遍的価値」を自覚しアメリカングローバルスタンダードに負けない日本が望まれます。角館町をはじめ今年も秋田県内の桜は見事に咲いています。
  No.155(2006年4月1日)

 いよいよ桜前線が北上中です。秋田は中旬頃で、桜の名所の角館は今月末になりそうとか?氣をもんでいる関係者も多いと思います。冬期休業中だった角館店は4月21日に開店です。青柳家邸内でひっそりと佇む店は「知る人ぞ知る」人氣の店になりました。
 さて、今月が最終回ですが、引き続き万人幸福の栞りの11ヵ条〜17ヵ条をご紹介致します。この暮しの筋道を歩めばきっと幸せになれると思います。バックナンバーは、店頭か、ホームページでご覧下さい。
11.物はこれを生かす人に集まる(万物生々)
 物は大切に使うと、持ち主のために喜んで働き、粗末に扱えば反抗したり時には食ってかかる。物は人と同じように生きているからである。
12.得るは捨つるにあり(捨我得全)
 物事はいつも順調に運ぶとは限らない。どうしても出来ないこともある。そんな時、私情雑念をさっぱりと捨てて、明朗闊達な心境に達したとき、危難からは必ず逃れられる。
13.本を忘れず、末を乱さず(反始慎終)
 枝葉のことには氣をつけるが、何事につけても本を忘れがちである。初心を忘れ、自分が受けた恩を忘れるから、いつしか怠け、あやまちをおかす。
14.希望は心の太陽である(心即太陽)
 都合が良いから希望をもつのではない。一度しかない人生、二度と出くわすことのない仕事だから、その前途に燃えるような希望を持つのである。
15.信ずれば成り、憂えれば崩れる(信成万事)
 自信のないことは失敗する。憂え心をもったり弱氣になると物事はおかしくなっていく。心の底から信じてくれる人にはウソをつくことが出来ない。
16.己を尊び人に及ぼす(尊己及人)
 世の中に、たった一つしかない宝というべき自分自身の個性をできるだけ伸ばして、人の為に働き、身をささげよう。
17.人生は神の演劇、
その主役は己自身である
 誕生し、生き、終わる。人の力の及ばない神の力、これは絶対です。絶対でないのが、人生における用意された壮大な舞台です。
  No.154(2006年3月1日)

 「楽しく暮したい、幸福に生きたい。」これは万人の希望であります。それが出来てるでしょうか。きっと出来るというはっきりした望みが、もてるでしょうか。
 前回に続き万人幸福の栞り17ヵ条をご紹介致します。
1.今日は最良の一日、今は無二の好機
2.苦難は幸福の門(苦難福門)以上は153号でご紹介済。
3.運命は自らまねき、境遇は自ら造る(運命自招)
 人の一生は、運命というどうすることもできない力で、決まった道筋を引きずられていくものではない。自らの力で切りひらくことが出来る。
4.人は鏡、万象はわが師(万象我師)
 他人は自分の心や振る舞いを反映する鏡であり、人を改めさせ変えようとする前に、まず自分を改めなければならない。
5.夫婦は一対の反射鏡(夫婦対鏡)
 夫婦は一組のあわせ鏡のようなものだ。
6.子は親の心を実演する名優である。(子女名優)
 子は親の顔形から、身ぶり、言いぶり、癖にいたるまでよく似ている。
7.肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号(疾病信号)
 肉体は心の容れ物、心の現れである。病氣は一般に知られている原因のさらに奥に真因がある。
8.明朗は健康の父、愛和は幸福の母(明朗愛和)
 一人の明朗な心は、当人の健康のもとであり、健全な家庭の中心をなし、事業発展の根源となる。
9.約束をたがえれば、己の幸せを捨て他人の福を奪う(破約失福)
 大自然のきめごと(法則)は、守らぬと身を亡ぼし、命を失う。しかし人のきめたこと(約束、規約)に対しては、ルーズになりがちである。
10.働きは最上の喜び(勤労歓喜)
 人はただ生きているだけでは何の意味もない。働いてはじめて生きがいがある。
次号に続く
  No.153(2006年2月1日)

 「天の運行は健なり自ら彊(つと)めてやまず」という言葉を以前紹介しましたが、正に天に対して人間は無力だということを思い知らされたのが、昨年末より続くこの大雪ではないでしょうか。横手市の4m、トマトジュースで有名な新潟県津南町の豪雪と比べたらまだ良いのかも知れませんが、秋田市は88年振りの大雪です。
 除排雪の不備もあり、狭い路地やご高齢者や一人暮しの方の家の雪降ろしには、多くの人手が必要になります。地区によって除排雪の差が目立つのは、町内の結束力の差かもしれません。
 私の町内では、秋田商業高等学校のサッカー部員10名にご高齢者の住宅を中心に排雪して頂きました。さすがスポーツ選手にだけあって頼りになり、若干の費用はかかりましたが、トレーニングと部活動の一助にもなり、一石三鳥の思いでした。少しの工夫や知恵で、人間は人間を救うことが出来ると知った出来事でした。
 ところで、人間は誰しも成功したいし、良い人生を送りたいと思っていることでしょうが、それには原理・原則があるそうです。
 倫理研究所の提唱する万人幸福のしおり17条を154号と合わせ紹介したいと思います。
1.今日は最良の一日、今は無二の好機(日々好日・にちにちこうじつ)
 寒い日、暑い日、晴れた日、雨の日といろいろあるけれども、どの日が良くてどの日が悪いということはない。きょうが一番良い日である。
2.苦難は幸福の門(苦難福門)
 病氣と災難・貧苦・家庭不和など、人生にさまざまな苦難があるが、これらは生活の不自然さ、心のゆがみを教えるものである。苦難に直面した時、嫌がったり逃げたりせず堂々と喜んでこれを迎えよう。苦難の原因をなす生活の不自然さ・心のゆがみを改めた時、幸福・歓喜の世界がひらける。
 以下は次号に続きます。
  No.152(2006年1月1日)

 明けましておめでとうございます。本年もご愛顧の程お願い申し上げます。この一年が皆様にとって素晴しい年になりますように。
 さて、「奇跡の人」という人物をご存知でしょうか。今日ほど、障がい者に理解がなかった頃、ヘレン・ケラーはあまりにも有名な人でした。日本にも3度訪れています。彼女は、スイス人の血を引く父アーサー・ケラーと20歳も若い母ケイト・アダムスの間に1880年6月27日に誕生しました。1歳9ヶ月の頃、原因不明の高熱と腹痛に襲われ、一時は医師も見放すほどの重体に陥りましたが、医師の献身的な努力でかろうじて一命を取り留めました。しかし、耳と目をおかされ、光と音の世界から完全に隔離されてしまいました。
 しかし、両親はあきらめませんでした。視覚障がい者でも立派に教育を受けることが可能であるという確信を得たからです。幸い家庭教師として採用されたアンニー・サリヴァンからヘレンは50年の長きにわたり教育を受け、その献身的な努力に支えられることになったのでした。
 アメリカの著名な作家マーク・トウェンをして「19世紀の奇跡」と讃えられ、サリヴァンは「偉大なる教師」と言わしめられました。
 昭和12年4月に日本を訪問し、8月に離日するまで30回以上の講演を各地でしています。勿論、秋田市にも来ています。そして、その秋田で一つの出会いがありました。ヘレンが希望していた純粋な秋田犬との対面でした。当時の秋田署の警察官が育てていた「神風」という秋田犬と意気投合し、「神風」は船上の犬となりました。 
昭和23年2度目の来日時には、渋谷駅前のハチ公像にも触れたそうです。きっと亡き「神風」を偲んだことでしょう。
 本年は、戌年にちなみ秋田犬が復権してくれればうれしく思います。




トップページネットショップ:通信販売しとぎばなし一乃穂通信バックナンバーE-MAIL

Copyright (c) SHITOGI.JP. All rights reserved.