秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂 一乃穂
一乃穂 一乃穂 お気に入りに追加 E-MAIL 一乃穂
一乃穂 ネットショップ 一乃穂 しとぎばなし 一乃穂 一乃穂通信バックナンバー 一乃穂 一乃穂トップページ 一乃穂
一乃穂

 

  No.222(2011年12月1日)

 去年、宇宙探査機「はやぶさ」の帰還が話題になりましたが、秋田市の南10キロの道川には、日本ロケットの発祥の地があり、県北の能代(のしろ)市には、JAXA(ジャクサ)日本宇宙航空研究開発機構のロケット実験場があります。このことから秋田県は、宇宙開発と長い歴史があると言えるでしょう。
 さて、当社のしとぎ豆がきを本や月刊誌クレアなどで紹介していただいている女優の竹内結子さんが主演している映画「はやぶさ」では、JAXAの努力が忠実に描かれています。「はやぶさ」は、2003年5月9日鹿児島県内之浦宇宙空間観測所からM-Vロケットにより打ち上げられました。2005年9月小惑星イトカワとランデブーし、さらに2005年11月にタッチダウンして、サンプルを取得しました。その後、2010年6月13日に「はやぶさ」に搭載されていたカプセルが地球の大気圏に再突入し、6月14日オーストラリアでカプセルが回収されました。さまざまな困難を乗り越えながら、7年の歳月をかけて「はやぶさ」を帰還に導いた日本の科学技術は世界に誇れるものです。
 JAXAの行動規範は、「国民の期待と信頼に応える」「関係機関と協調し事業を進める」12月の花そして、「世界一流の研究開発を目指す」の三つだそうです。しかし、日本の宇宙開発事業は、アメリカやロシアに比べると、予算が少ないなど、色々な意味で制約があります。そのような劣勢をアイデアと工夫で乗り切ったところに「はやぶさ」プロジェクトの素晴らしさがあり、絶対にあきらめない強い信念が、世界中に感動と希望を与えたのだと思います。
 結びに、本年もおかげさまで無事一年間この通信を発行することが出来ました。ご愛顧に感謝申し上げますと共に、社員一同、お客様とのご縁を大切に感謝のこころで来年も応対してまいります。どうぞよろしくお願い致します。皆様、良いお年をお迎え下さい。
  No.221(2011年11月1日)

 今年も終わりを迎えようとしている中、今年一番の出来事はやはり東日本大震災と福島の原発事故でしょう。未だに困難な生活を送っている多くの方々に思いを馳せ、日本が一体となって復興に努力しなければならないと思っています。
ヒガンバナ そんな中、うれしいニュースもありました。「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝です。笑顔で誇らしげに優勝カップを掲げる選手達の姿に誰しも胸を打たれたと思います。秋の園遊会で天皇陛下が澤穂希選手や佐々木則夫監督にお声を掛けられていたのもうれしいことでした。
 しかし、なでしこジャパンの勝利までの長い道のりや歴史を知る人はあまりいません。選手の平均身長は162.8cmと街中で見かける一般女性と何ら変わりません。しかし、ピッチでは180cmの大柄な相手に一歩も譲りません。一人では無理でも、ふたりなら出来る、転んでは立ち上がり、また走り出す。抜かれても弾き飛ばされても、また起き上がる。“諦めない”プレーを最後まで貫き通してくれました。だからこそ、多くの日本人の心を揺さぶったのでしょう。17年にわたり、女子サッカーを撮り続けてきた、カメラマン早草紀子さんの本でもなでしこの諦めない精神を取り上げています。
 それともう一つ、彼女たちの魅力は、自分の言葉でしっかりと話すことの出来る力を持っているということです。
 秋田市の明桜高等学校では来春、女子サッカー部が創部されます。今後、全国の高校にも波及することでしょう。
  No.220(2011年10月1日)

 心の病がある人たちの集いの場として、NPO法人「秋田県心の健康福祉会」が運営している施設「ユックリン」の利用者数が、8月末で1万人を超えました。安心して自由に過ごせる居場所を得て、利用者の方々は社会とのつながりを少しずつ取り戻しています。
 ユックリンは、自宅と病院しか行き場のなかった人達に街の中に出かける場所を県内で唯一、民間人が作った画期的事業と認められています。当初、秋田市旭北栄町にあった長門ビルの理解あるオーナーが、ビルの一室を貸してくれると言った時、町内から反対の声があがりました。折菊しも町内で精神を病んでいた女性が自宅に放火し、全焼した事件があったからです。それでも施設を町内の方々に見学していただき、理解を得て2008年6月10日開設に漕ぎつけ、ビルの解体に伴って、今年7月同市山王6丁目に移転しました。
 「この場でのんびりしてほしい」というのが名前の由来です。心の病があると、自分の世界に入り込んでしまうため、いろいろな人と話をすることが、社会とのつながりや自分自身を取り戻すことになります。ユックリンは、県内の複数の病院と連携しており、医師の薦めで訪れる利用者も少なくありません。常駐するボランティアスタッフに医療関係者はいないもののある意味、地域医療の場でもあるのです。さらに、引きこもった経験のある人が、話し相手になることによって病状が回復に向かった利用者も数多いと聴きます。施設運営は、NPO会員の会費や県からの助成金や寄付等で何とかまかなっていますが、厳しさは変わらないそうです。このような現状の中、秋田県医師会より保健功労賞が贈られました。今までの頑張りを認められたことはスタッフの励みになることでしょう。
 利用は、月・火・水・金・土(第2、第4は休み)の10時〜15時
問い合わせはユックリン
(TEL018-867-1670)藤原さんまで
  No.219(2011年9月1日)

 3月11日の大震災以降、日本人の氣持ちは大きく変わったように思います。過去の数々の苦難から立ち直ってきた日本民族の純な心を取り戻す出来事になりました。しかし、その一方で、義捐金の多くがいまだに被災者に届かない苛立ちは誰にぶつけたらいいのでしょう。
 世界各国からも様々な支援と共に多くの義捐金が届けられました。7月現在、人口2,300万人の台湾が特出しており200億円で、人口13億人の中国が3億4千万円ですから、善意は金額の大きさではないでしょうが、台湾の日本に対する良好な感情と民間の友好親善の表われと言えるでしょう。外交はその国の国民感情に依ることが大きく、国難の今こそ、海外からの援助がいかにありがたいものかを知る機会になりました。
9月の花 古くにはこんなこともありました。昭和60年(1985年)3月、イラクイラン戦争の際、イランの首都テヘランの空港では、日本人215名が国外脱出の救援機を待っていました。諸外国は軍用機や民間機を動員し手際良く脱出させたのに対して、当時の政府は安全の保障がないことを理由に速やかな救援活動を行ないませんでした。救助を待つ邦人の不安と緊張がピークに達した時、敢然と救援に来てくれたのは、トルコ航空でした。なぜトルコだったのでしょうか。
 それは、明治23年(1890年)の9月16日夜、トルコ帝国軍艦エルトゥールル号が座礁し遭難した際、紀伊大島の島民を始めとする和歌山県串本町の町民の献身的な救出活動と明治天皇や政府の援助があったからなのです。更に、町民らが約100年に亘り、殉職した587名の将兵たちへの慰霊を行ってきたことに対する恩返しをと当時のトルコ政府が英断したのでした。
 この出来事は、トルコの歴史教科書には掲載されているそうですが、日本ではあまり知られてはいません。今も慰霊碑は串本町にあり、5年毎に慰霊祭が行なわれています。
  No.218(2011年8月1日)

 残暑お見舞い申し上げます。日本各地は、厳しい暑さが続いております。くれぐれもご自愛ください。
 さて、先月のなでしこジャパンの活躍には誰もが感動したことと思います。被災地の皆さんもきっと勇氣づけられたことでしょう。
 どんなスポーツにも感動は付きものですが、夏のスポーツの代表と言えば、やはり「全国高等学校野球選手権」です。その開閉式で演奏され、奉唱される「栄冠は君に輝く」という曲をご存知かと思います。歌詞は、1948年朝日新聞が募集した5252編の中から選ばれたもので作詞者は加賀大介さんです。実は、加賀さんはプロの文筆家で賞品目当てと思われるのを嫌い、当初、自分の名前を伏せて婚約者の高橋道子さんの名前で応募していました。
 それが、第50回記念大会(1968年)を機に真相を公表し、「加賀大介作詞・古関裕而作曲」と表記されるようになりました。加賀さんは、16歳の時、野球の試合中の怪我がもとで右足膝下を切断し、野球を断念したことがあり、自宅前の浜小学校(松井秀喜選手の出身校)で野球をよく見ていたそうです。野球に対する作詞者の強い想いが伝わってくる歌詞です。

8月の花「栄冠は君に輝く」
  (全国高等学校野球大会の歌)
加賀大介作詞・古関裕而作曲
雲は湧(わ)き 光あふれて
天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼に答え
いさぎよし 微笑(ほほえ)む希望
ああ 栄冠は 君に輝く

風を打ち 大地を蹴(け)りて
悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
若人よ いざ
一球に 一打に賭(か)けて
青春の 讃歌を綴(つづ)れ
ああ 栄冠は 君に輝く

空を切る 球の命に
通うもの 美しく匂える健康
若人よ いざ
緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす
感激を 目蓋(まぶた)に描け
ああ 栄冠は 君に輝く
  No.217(2011年7月1日)

 現在、秋田市の中心部では中通一丁目再開発街区工事が進んでいます。震災の影響で3ヵ月程度遅れましたが、平成24年7月に完成する予定です。
 その街区の一角に、安藤忠雄氏設計の新県立美術館が千秋公園入口から移転新築されます。賛否両論の中、移転が決定されたので完成後の成り行きが大いに注目されているところですが、近隣にある岡田謙三記念館を併設した市立美術館と藤田嗣治の世界一の壁画「秋田の行事」が観られる新県立美術館とのコラボが今から楽しみです。また、指定管理者として運営するのは財団法人平野政吉美術館と思われますが、バラエティーに富んだ企画で県内外から多くの観光客を集めて頂きたいものです。
 ところで、秋田の美術史の中で燦然たる位置にあるのが、「秋田蘭画」です。江戸時代後期、北国の秋田藩で西洋風景画が芽を吹きました。後に秋田蘭画と呼ばれ、一派を導いたのは青年武士、小田野直武でした。東西両洋の画法を融合した新しいスタイル画の誕生でした。
7月の花 小田野直武は角館に生まれ、32歳の若さで没したため、絵画を描いたのはわずか6年前後でしたが、精力的創作には目を見張るものがあります。直武の名は、歴史的な書物にも登場しています。その書は、安永3年(1774年)に刊行された杉田玄白訳「解体新書」です。オランダ語の医学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳したものですが、直武はその挿絵を描いています。平賀源内が秋田鉱山を調査した折、源内に絵を認められて指導を受け、その後、更に技法を習熟していきました。絵が好きだった秋田藩佐竹義敦(曙山)にも伝授し、秋田蘭画派を確立しました。
 秋田蘭画には、まだ謎が多く、先月の日本経済新聞でも特集が取り上げられていましたが、近年研究も盛んになっており、観に来られる方が増えることを期待しております。
  No.216(2011年6月1日)

 今、震災前に買った本を読んでいます。それは、厚生労働省元局長で大阪地検証拠改ざん事件により無罪になった村木厚子さんが拘置所で読まれていた本です。
 ある日、ふと立ち寄った本屋さんで、文藝春秋社の月刊誌「オール讀物」の表紙に記されていた直木賞決定の文字以上に私が注視したのは、『特別寄稿 村木厚子「私を勇気づけた拘置所の150冊」』というフレーズでした。その中の一冊、石坂昌三著「象の旅」長崎から江戸へ(新潮社・1992年5月15日発行)を読んでいます。
 内容は、享保13年(1728年)6月13日、長崎に150年振りに2頭の象が上陸し、将軍吉宗に献上されるまでの道中を描いたノンフィクション作品です。6月の花牝象は到着後死んでしまいますが、翌年3月、354里を74日間かけて江戸までたどり着く様子や、道中の象の扱い方が詳しく書かれています。ことの発端は、吉宗が「象というものが見たい」と言い出したからで、長崎に象が着いたという知らせに180cm程の大男、吉宗は上機嫌で「あばた面をほころばせた」と書いてあります。3トンの象が食べる餌や川渡りについての苦労話の他にも各地の生活ぶりや参勤交代の経費削減の方法等、面白い内容が書かれています。
 ところで、村木さんは164日間に及んだ拘置所生活で150冊の本を読む程の大変な読書家です。「本は強力な精神安定剤で、先の見えない拘留生活の一番の慰めだった」と話しています。家族や友人から送られてきた本は、書き込みなどがないかどうか、つまり外部との通信手段に使われていないかどうかの検査を経て、数日で手元に届きます。拘置所に持ち込める私物は、衣類・本・日用品などが2週間程度の旅行用スーツケースに全て納まるようにしなければなりません。ですから、「宅下げ」と言って読み終えた本は自宅に送り返してもらったそうです。
 その際、うっかり本文に線を引いたり、印を付けたりすると宅下げが出来なくなり破棄され、悔しい思いをしたと記されています。
  No.215(2011年5月1日)

 この度の東日本大震災により、尊い命を落とされた方々に謹んで哀悼の意を捧げますと共に、甚大な被害を受けられた数多くの皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。未曾有の大災害が発生して、早2ヵ月が過ぎようとしていますが、今なお不自由な避難生活を余儀なくされ、悲しみと不安の日々をしのいでおられる被災者の方々を思うと胸が痛くなる思いです。少しずつ生活が改善されてきているようですが、自らを励まし、氣力を振り絞って耐え抜いていただきたいものと心より思います。
 幸いにも当店では店舗の被害はなかったものの、停電で冷蔵庫の製品がダメになりました。この先を考えると不安ですが、今はおいしいしとぎ菓子を作ることが出来ることに感謝しなければならないと思っています。
 さて、最近のテレビCMで『行為の意味』という詩の一部を聴いた方も多いと思いますが、作者を知っておられるでしょうか?作者は、大正8年(1919年)埼玉県羽生市に生まれた宮澤章二先生です。高校教師を経て文筆業に専念し、童謡・歌曲・合唱曲・校歌等の作詞を多数手がけ、中でも校歌は小・中・高合わせて300校に及びます。

花『行為の意味』
─あなたの「こころ」はどんな形ですか?と ひとに聞かれても答えようがない 自分にも他人にも「こころ」は見えない けれど ほんとうに見えないのであろうか 確かに「こころ」はだれにも見えない けれど「こころづかい」は見えるのだ それは人に対する積極的な行為だから 同じように胸の中にある「思い」は見えない けれど「思いやり」はだれにでも見える それも人に対する積極的な行為なのだから
 あたたかい心が、あたたかい行為になり やさしい思いがやさしい行為になるとき 「心」も「思い」も初めて美しく生きる
─それは 人が人として生きることだ

 結びに秋田魁新報社・秋田放送・秋田テレビ3社に寄せられた義援金は、7億442万8,899円になりました。岩手・宮城・福島に2億2千万ずつ贈られ、残りは秋田県内に避難されている方々に使われることをお知らせします。
  No.214(2011年3月1日)

 春の足音がやっと聞こえて来るような天候になってきましたが、今冬は本当に大雪に悩まされました。県南部の大仙市や横手市、湯沢市では雪の壁が交差点に出来たために視界が遮られ、自動車事故が頻繁に起きたそうです。秋田市でも一晩に36件もの事故があり、秋田中央署の警察官は不眠不休で対応に当たりました。
 このような状況下で特に多かったのが、屋根の雪下ろしの際に起きた事故です。軒下にいて屋根から滑り落ちた雪で窒息死したり、雪と一緒に屋根から落下し重傷や死亡に至る事故が相次ぎました。
 大曲の花火で有名な大仙市の雪深い山すそに、約40世帯が点在する集落があります。列車が日に6本だけ通るローカル駅の近くにある「工藤商店」の店主・工藤信幸さん(46歳)が、3月の花いなくなってから2ヶ月が経ちました。
 工藤さんは、90歳になる向かいの女性宅の雪下ろし中に屋根から転落し、亡くなってしまったのです。3m弱の1階屋根で足を滑らせ、硬くなった圧雪路面に頭部を強打したのが致命傷になりました。この豪雪のため県内で亡くなった人は17人で、工藤さんは最も若い犠牲者です。夜も明けきらないうちから近くのお年寄り宅や周りの家の雪寄せをするのが日課でした。工藤さんは、自宅の屋根を危険が伴う雪下ろしを避けるために、積雪が自然に滑り落ちるようにしていました。
 また、父親から「地元に愛される商人になれ」と教えられ、当然のように近所の雪下ろしを続けていたのでした。現在、残された二人のお子さんは、お父さんの形見の白いスコップで雪かきを始めているそうです。
 こころよりご冥福をお祈り致します。
  No.213(2011年2月1日)

 寒中お見舞い申し上げます。本年は例年より雪が多く、雪害や雪による事故が多発しています。被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 さて、私の友人の叔父さんに、若い根っこの会会長の加藤日出男さんがいらっしゃいます。今回、加藤会長よりご寄稿いただきましたので以下ご紹介致します。

「人生を面白く生きよう!」
 人は考え方ひとつで、北極と南極ほどの違った生き方が出来る。が、それには、スペアのない一日一日をどれほど真剣に生きようとしているかが、決定的な条件である。
 大学のように134単位とかの学業を修得しなければ卒業できないなんていうチャチなものではない。人生は、その程度のちっぽけなこだわりでは、はかり知れない大きな器をそなえている。諺にも「水は方円の器に従う」というではないか。方円とは四角でも丸でもということ。つまり水は入れ物の形にとらわれず自由に形を変える。人生は水の如く、友人や環境によって大きく変る。もっと適格にいうと、いつ、どこで誰と、出会うかによって、生き方、考え方が変る。
 よき友人、尊敬すべき人物と出会ったり、啓発すべき言葉によって、めざめ、大学の一つや二つどころではない知的創造力を身につけることが出来る。
 それには、一個よりないおのれの命、たとえ60秒、一分といえど再び帰ってこない過去となることを心して真剣に生きているかどうかだが、と言ってあわてるな。春の来ない冬はない。
 そう心して生きるにはつねに、どん底からでも這い上がる夢を抱いているか、花どうかが決定的である。夢は心の骨格である。心の骨格を捨てたら、生きる姿勢がくずれる。生きる姿勢がくずれたら、人生そのものがくずれる。現在の日本の政治は、夢も希望も失い、ひたすら世論調査と選挙のみに汲々し、そして漂流している。坂本龍馬は32歳で暗殺された。高杉晋作は27歳で逝く。134年前、携帯電話もパソコンも新幹線もなかった。けれど晋作は吉田松陰と出会い、龍馬は勝海舟と出会えた。そして、日本を変えた。いつ、どこで、誰と出会うか。人生は面白い。
  No.212(2011年1月1日)

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。この通信が、縁で全国連合小学校校長会編集の「小学校時報」11月号の依頼を受け、社員一丸となった時の組織力の強さという内容で寄稿しました。
 その巻頭には、静岡市立葵小学校校長廣田隆行先生が「開かれた個を育てる第一歩」と題し、ある小学校での出来事として次のような文章を書かれています。
 楽しい自由プールが終わって着替えようとしたら、ある子の服がありません。先生がどこを探しても見つかりません。誰かが間違って着て帰ってしまったと思い、着替えのなくなった子どもの家に連絡して家まで先生が着替えを取りに車で行ったそうです。その後、間違えた子の家から連絡が入り、いたずらやイジメではなかったことで先生方は「ほっ」としたのでした。どこの学校でもありそうな出来事ですが、翌日、先生の一言が印象に残ったそうです。「最近の親は、苦情は言うけれど、お礼は言わない」。服がなくなって心配し、あちこち探したり家まで取りに行ったりしたのに、君子蘭保護者からも、子どもからも「ありがとうございました」の一言がない。続けて「まぁ、服がなくなった事をあんまり大事にとらえられるよりいいか」だったそうです。新しい学習指導要領では「生きる力」を育むがテーマになります。豊かな心の育成のためには、これらと共に生きる自分への自信をもたせることが重要とされています。今の自分さえよければ良いと言った「閉じられた個」ではなく「開かれた個」が重要と解いています。
 その為の第一歩は、日常の生活での挨拶や「ありがとう」「ごめんなさい」という他者とのかかわりや社会生活の中で基本となる言葉がきちんと言える躾を意識することが必要と提言しています。




トップページネットショップ:通信販売しとぎばなし一乃穂通信バックナンバーE-MAIL

Copyright (c) SHITOGI.JP. All rights reserved.