秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

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  No.294(2017年12月1日)

 あわただしい月が始まりました。騒然とする事件・事故が多い中、皆様が年末年始穏やかにお過ごし下さることを願っております。
 さて、先月当地の紅葉が終わりに近づいた日、大仙市(旧大曲市)の旧池田氏庭園に初めて行ってきました。鹿児島の特攻記念館のある知覧同様、以前から行こう行こうと思っているうちに10年近くが経ってしまった処でした。国指定名勝の庭園は、東北三大地主のひとり「池田家」が築いた名園で秋田市の千秋公園を設計した、近代造園の祖と言われる「長岡安平」の代表作です。この庭園は、大正期の国内有数の千町歩地主であった池田家の旧邸宅敷地で、当時の所有田畑は1,200町歩、小作人1,250人であったと記されています。旧母家を中心に、敷地の南西に位置する主庭園、 東部の奥庭、北西部の平庭に3区分されています。 4万2千uの広大な敷地の中に、日本庭園、洋館、 5つの蔵が現在も残っています。お茶の木平成16年、秋田県内で初めて国の名勝に指定されています。
 池田家は、永年地域社会に貢献されたことでも知られており、医療施設の無料化や子供たちの教育にも尽力しました。今では当たり前になった事ですが、学校給食をわが国で初めて実施する等、子供たちにひもじい思いをさせないようにという取り組みは大いに評価されてしかるべきものでしょう。池田家の印入りの弁当箱を拡げている子供たちの笑顔の写真からも充実ぶりがうかがえます。
 大型の雪見燈籠は、金沢の兼六園をしのぎ、重機のない時代にこのような大型(高さ4m・傘の直径4m)の灯篭をどのようにして重ねられたのでしょうか。 まったく不思議です。
  因みに、東北三大地主とは、宮城県石巻の齋藤家、山形県酒田市の本間家と言われています。機会があれば是非一度ご覧下さい。

  No.293(2017年11月1日)

 秋田市中心部より北へ車で25分程度の処に、秋田県立博物館があります。現在入館料は無料になっていますが、その裏側に昭和54年4月に開園した「水心苑」があります。本通信でも10数年前に紹介済で、秋田県で初めての本格的な林泉廻遊式日本庭園です。
 ゆっくりと散策が楽しめるよう設計されており、紅葉はとても見事です。天皇陛下・同妃殿下のお手植えの松や水芭蕉園、大きな鯉が泳いでいる池、滝、眺望台など季節毎の彩りを楽しむことが出来ます。苑名は歌人としても評価されている本県ゆかりの農聖石川理紀之助翁が、詠んだ一首から二文字をとって「水心苑」と名付けられたのでした。
 その一首とは「足引きの 山田に落ちて 行く水の 心易くも 身はなりにけり」です。
 久々に紅葉を見ようと苑に入りましたが、なぜか閑散としています。ザクロ日曜の昼下がりにしてはおかしいと思っていたら、 至るところに進入禁止の立札があるではありませんか。原因は、熊の出没です。秋田県内では、熊の目撃件数が8月現在で 964件に上り、過去最高だった昨年1年間の872件を上回っています。被害は死者1名、負傷者は10名になります。 一昨年はブナの実が豊作だったため、子熊が例年より多く生まれたことも原因のひとつと言われております。
 また、農業被害も拡大しつつあり、有害駆除や個体数調整などで処分されたツキノワ熊の頭数は、9月時点で過去最多の533頭になってしまいました。総数は1013頭と推定されていますが、実際のところはもっと多いのかも知れません。人間と動物との共存に悩む昨今の状況です。何か良い解決方法はないものでしょうか。
 ※本店では、今月末まで送料割引キャンペーン中です。 是非、この機会にご利用下さい。

  No.292(2017年10月1日)

 秋色が日毎に濃さを増しつつありますが、 みなさまは如何お過ごしでしょうか?時々鳴るJアラートに虚しさを感じている人が、少なくないと思います。秋田も北朝鮮のミサイルで男鹿半島が全国的に有名になりました。
 さて、日本の秋を象徴する花に菊があります。漢字の「菊」のもととなるは「窮まる」で「一年間の最後に咲く花」と言うことに由来します。そのため、日本では葬儀やお墓参りの献花や供花としても菊がよく利用されます。品種の中には色も豊富で形も手鞠のように球形の洋菊も多くあり花束にも使用されています。
 菊の原産地は中国で、菊は神聖な力を持つ薬として珍重されていました。漢時代には、 後に日本に伝わる菊の香りを含んだ「菊酒」を飲み、健康長寿を祝う「重陽の節句」の元となる行事が既に行われていました。日本でも、シシリンチウム平安時代より薬草や観賞用植物として用いられ江戸時代前期から栽培が高まり、大菊など多くの品種が生み出されました。さらに、菊は観賞用だけでなく芸術の場でも求められるようになってきました。胴体を菊の花で飾った菊人形など庶民の生活に根付いたまつりとしても菊は親しみやすい花となってきました。
 花言葉の「高貴」「高尚」「高潔」は、菊の気高い美しさに由来するともいわれることから、皇室の紋章とされるのも納得がいきます。
 今月中旬から、お歳暮送料早期受注キャンペーンが始まります。どうぞ宜しくご利用下さいますようお願い申し上げます。

  No.291(2017年9月1日)

 9月に入り、秋田市では日中暑いものの朝夕は大分涼しくなりました。季節の変わり目体調を崩さぬようお氣を付け下さい。
 さて、全国47都道府県にはそれぞれ地元紙があります。秋田では秋田魁新報が約23万部程発行されています。地元の情報を知るのは地元紙ですが、皆さんは数ある新聞社の中で「みやざき中央新聞」をご存知でしょうか? 月4回発行している新聞です。「宮崎発 夢未来〜感動の共感を世界中に」をキャッチコピーに社説の他、各種講演会を取材し感動した話や心温まった話が掲載されています。内容は正に手本となる考え方や生きることに対しての道標が語られているような氣がします。
 8月7日付けの掲載内容の一部をご紹介いたします。2005年オルセン監督率いるデンマークのサッカーチームが香港で国際親善試合をしました。イランとの試合が始まり前半戦終了間際に、観客のひとりが応援の笛を「ピーッ」と吹きました。するとイラン選手は審判が終了した合図に吹いたと勘違いし、目の前のボールを拾い上げてしまいました。その瞬間反則となってペナルティキックが宣告されました。
ミニトマト デンマークチームが、得点出来る大きなチャンスを迎えました。ここでオルセン監督は、ボールを蹴ろうとするキャプテンを呼び耳打ちしました。するとキャプテンはなんと、わざとゴールの外にボールを蹴ったのです。その後、後半に1点をとられデンマークチームは負けてしまいました。試合後、批判されたオルセン監督は「イランの選手の反則は勘違いだった。人の弱みに付け込むようなサッカーを私は選手にやらせたくないし、デンマークの子供たちにも見せたくない。正々堂々と戦うことの方がもっと大切だ」と。その言葉を聴いた取材の記者団はオルセン監督に拍手を送りました。
 このような内容です。今はネット社会で色々な情報が一夜にして世界を駆け巡りますが、手紙や葉書を書くことや、文字を読んで色々な考えを学ぶことは大切なことと思います。

  No.290(2017年8月1日)

 夏休みに入り、行楽地には親子連れが目立つようになりました。事故等にはくれぐれも注意して楽しい夏の思い出を作ってほしいと思います。日本各地で猛暑が続いており、残暑も厳しいものと思われます。熱中対策を万全にし、くれぐれもご自愛下さい。
 秋田港ではいよいよヒアリ対策が始まりました。今までに経験したことがないことが色々起こりそうです。
 先月22日よりの集中豪雨では、秋田市の一部や県南の大曲の花火で有名な大仙市では大きな被害が出て、水田や枝豆畑が冠水のため一部出荷が出来なくなりました。当店でもお客様にご心配をお掛け致しましたが、幸い被害がなく、社員2名の床下浸水だけですみました。
 さて、県内には様々な農産物がありますが、あまり知られていない物に「北限のいちじく」があります。先月中旬、秋田市から車で南下すること80分、にかほ市大竹地区のいちじく畑を視察する機会がありました。いちじくは生命力が強く、米づくりのかたわら明治時代より細々と栽培されてきたそうですが、今では耕作地が増え、しかも人の背丈程の低木にしたことは高齢者にも優しく収穫出来ることから、何かしらその地域に幸せを与えてくれるように感じました。以前はお嫁さんたちの小遣い稼ぎだった「北限のいちじく」は、健康ブームに乗り立派な産業に育ちつつあります。最近では地元出身の青年が、帰郷し、生産者と販売者、消費者のコーディネーター役になり、更に大竹地区のいちじくが有名になったようです。
 ゴーヤいちじくには多数の品種があり、明治初年にフランスから持ち込まれた寒さに強いホワイトゼノアという品種が「北限のいちじく」として根付いたと言われているそうです。糖度が高く果肉は柔らかく加熱加工にも向き、熱しても皮の色が緑色のままであることから「白いいちじく」とも呼ばれています。「北限」と付くのは、東北にはいろいろありますが、県内では鹿角市(かづのし)「北限のもも」が有名です。

  No.289(2017年7月1日)

早いもので1年の半分が過ぎてしまいました。みなさま は如何お過ごしでしょうか。ご清祥を祈念いたしております。6月の下旬、長野県で地震がありました。被害に遭われたみなさまには、こころよりお見舞い申し上げます。震度5という地震は、どの地域に住んでいても不安を覚えます。「災害は忘れた頃にやって来る」と良く言われていますが、「備えあれば憂いなし」の精神で常日頃より災害に対しての備えをしておく必要性を痛感させられます。各家庭で少なくとも水や電池、食料等は3日の蓄えが必要ではないでしょうか。
 さて、秋田県仙北市の田沢湖は水深423mで日本一深い湖として有名です。戦前は魚も豊富に獲れていました。しかし、1940年電力供給増加のため、湖水を利用した水力発電所が建設されました。湖水を賄うため、近くの玉川の水を導入しましたが、「玉川毒水」と言われる塩酸を含む強酸性の水が大量に流入されてしまい全ての魚が死滅してしまいました。その中には、固有種と言われる「国鱒(クニマス)」の存在がありました。現代なら環境問題として大きく取り上げられていましたが、当時は国挙げて戦時体制のさなかであり固有種絶滅に異を唱えることは出来ませんでした。
 それが2010年魚類学者のさかなクンなどによって、山梨県・西湖に現存するクニマスが見つけられました。それは、さくらんぼ発電所を造る前に人口孵化の実験をするため西湖や本栖湖などにクニマスの発眼卵(卵膜を通して肉眼で目が認められるようになった魚卵)を送っていたからでした。今では、玉川酸性水中和処理施設が運転中ですが、湖全体を戦前の状態に戻すまでには、かなりの期間がかかりそうです。田沢湖町では、西湖のクニマスを展示するため、このほど「クニマス未来館」を湖畔に開館いたしました。クニマスが田沢湖で再生することは地域の悲願となっています。
※おしらせ※ 本店では7月末日まで送料キャンペーンを実施中です。

  No.288(2017年6月1日)

 昨秋のこと、初めて仏前結婚式に参列させていただきました。このところ結婚式より葬式に出るほうが数倍多くなっている身としては、大変新鮮で印象深いものでした。
 菩提寺のご令嬢と一般の会社員の方とのカップルです。由緒ある名刹の跡継ぎになるべく新郎は、結婚前に福井県の永平寺で3年間厳しい修行に耐え、仏の道を歩んできました。一途な想いから仏門に入られたのには、きっと色々な葛藤や複雑な人間関係があったことでしょう。披露宴では、袈裟姿のご住職が多く少し違和感があったものの成就に参列者の感激もひとしおでした。
 シャガ今時の若い人には、めずらしく素晴らしさも感じました。心根が弱く、職場でも仕方なく休職している人や自分の発言がどのような状態を生むか考えずに失言を続ける議員などが多い中、感銘した出来事でした。
 さて、仏前結婚式とは、@献香三拝(けんこうさんはい)式師が仏さまにお香をお供えし、三度御拝します。A啓白文奉読(けんぱくぶんほうどく)式師が結婚式を執り行うことを仏さまに報告します、B酒水灌頂(しゅすいかんちょう)式師が清らかなお水に仏さまの教えを込め、その水を新郎新婦の頭上に注ぎます。C寿珠授与(じゅずじゅよ)式師より二人に寿珠が授けられます。D三帰礼文唱和(さんきらいもんしょうわ)この「三帰礼文」は「仏・法・僧に帰依します」という仏教徒の大切な誓いです。E盃事(さかずきごと)新郎新婦が三々九度の盃を取り交わします。F誓約文奉読・仏さまの前で新郎新婦が揃って誓いの言葉を読み上げます。G祝寿端座(しゅくじゅたんざ)全員で数分間の黙想をします。H普回向(ふえこう)式師が生きとし生けるものの幸せを願うお唱えをし、仏前結婚式が無事執り行われた事への感謝をして終了となります。
 仏前結婚式が始まったのは明治時代からだったそうです。数年前には、市川海老蔵さんと小林麻央さんの仏前結婚式がありました。仏さまに誓い、見守られる仏前結婚式が身近に感じられました。
【お知らせ】 
本店では、7月末まで送料サービスキャンペーン中です。ご贈答に是非ご利用下さい。

  No.287(2017年5月1日)

 いよいよ秋田にも観光シーズンがやってまいりました。 県内の桜の開花は4月20日から30日ごろまででした。
  さて、JR東日本の人氣の列車をご紹介いたします。秋田駅から弘前駅・青森駅間を奥羽線・五能線経由で運行している臨時快速列車、「リゾートしらかみ」です。五能線は、秋田の能代駅と青森の五所川原駅を結んでいます。その中に無人駅ですが、驫木駅が存在します。「とどろき」という漢字は、轟と書くのが普通ですが、どうして馬という漢字を三つ書くのでしょうか?
 驫木、日本の駅名に使用されている漢字の中で、最も画数が多いと言われております。元々「驫木」は、駅周辺の集落の地名で、波の音、瀬の音が轟きわたっていたことから、3頭の馬も驚いたということが由来です。「男はつらいよ」の7作で、さくらが降り立つ駅として登場しています。日本海の海岸沿いを走るというロケーションを活かし、クモマソウ土・日・休日を中心に「ノスタルジックビュートレン」として運転を開始していて、現在は「リゾートしらかみ」として、日本海の絶景とともに特徴ある駅を紹介しながら運行されています。 是非一度、ご乗車いただければと思います。
  話題は、変わりますが6月16日は和菓子の日です。当店も加盟している全国和菓子協会では、毎年この日にキャンペーンをしており、本年は抽選でトートバックをプレゼントいたします。和菓子の日は、1957年(昭和54年)に全国和菓子協会が制定した記念日です。平安中期の承和年間、疫病が蔓延した時、嘉祥と改めその元年が6月16日で16個のお菓子や餅を神前に供えて、厄病よけと健康招福を祈ったとされることが起源です。
  「嘉祥の祝い」は歴史の中で受け継がれ、明治時代まで盛んに行われていました。この「嘉祥の日」を現代に復活させたのが「和菓子の日」なのです。
  No.286(2017年4月1日)

 今月の中旬頃には、当地でも桜が開花する予定です。秋田県は、 この25年間で人口が約25万人位も減少してしまいました。

  それでも4月は入学・入社などフレッシュで華やいだムードが街に溢れます。おかげさまで当店も24年目の春を迎えました。 現在、毎月朔日(ついたち)だけの限定販売で朔日餅を作っていますが 4月1日は味噌餅です。月毎に味の違うお餅をお楽しみ下さい。
 また、本年はさくら餅が、考案されてから300年になります。 和菓子は千年を越える歴史の中で、日本人の憩いとやすらぎのひとときを共にしていると言っても過言ではないでしょう。
 金連花 「さくら餅」は、享保2年(1717年)徳川3代家光公が命名したと言われています。現在も東京・向島にある長命寺の門番であった 新六が、向島のさくら並木の葉が散るのを惜しんでさくらの葉の 塩漬けをつくり、その葉で餅を包んで販売したところたいそうな人氣を博して「さくら餅」となりました。
 当店が使用している大島さくらの葉は、生のままではあの独特な 香りは出ませんが、塩漬けにすることによってクマリンという芳香 成分が生まれます。その香りが餅の生地にほのかな移り香となって 餡を包み込んだ餅と調和し、「さくら餅」の味わいとなりました。
  葉ごと召し上がっても良いのですが、創製者の意図は葉を取り除いて、移り香と餅を楽しむことだったそうです。これからは、よもぎ 餅・かしわ餅が登場します。
  送料キャンペーンサービスは、4月20日まででございます。 是非ご利用下さいませ。

  No.285(2017年3月1日)

 陽春の候、みなさまにおかれましてはご清栄のことと思います。当地の本格的な春は4月の中旬以降でしょうか。過去3月下旬にもドカ雪が降ったこともあります。天候もわからないものですが、人生もほんの一瞬で狂う時があることを先月体験しました。
 2月2日ある銀行の支店の駐車場口から入ろうとドアを開けた瞬間でした。何か自分の体が宙に浮いたような感触でした。入るまでは慎重だったのに、店内だから油断したのかも知れません。恥ずかしい思いで立ち上がったら、左手首に激痛が走り手首が内側に曲がったきり元に戻りません。咄嗟に骨折したなと思いました。大変なことになってしまった、これからのスケジュールは全部ダメになると考えると氣が動転しましたが、落ち着いて優先順位を模索しました。
 これから会う約束をしていた人に事情を話し、会社に連絡し自宅まで何とか運転して戻り、タクシーで病院に向かいました。息子が予め病院に連絡してくれていたお陰で迅速に対応してもらい、麻酔をかけて折れ曲がった手首を取り敢えず正常に戻していただきました。少し楽になりましたが、痛みは続きます。
 レントゲンの結果は、左手首複雑骨折で7日の手術に向けてすぐに入院となりました。何しろ鞭打ち症で4日間入院して以来、44年振りの入院なので、後悔や精神的なショックでさすがに落ち込んでしまいました。
 急いで駆けつけてくれた家人の顔を見て、申し訳ないやらありがたいやら反省の日々でした。ドアの内側にもマットを敷いてくれていたならと銀行を恨んでも始まりません。いちごこの経験を生かすとしても、いつも見舞う立場でいたいという自分の「高邁さ」に「唖然!」としてしまいました。
 皮肉にも毎日6Fの窓際のベッドからその銀行を見下ろしての入院生活を余儀なくされました。人のために骨を折っても自分で骨を折らないようにしなければならないと痛感し、骨身にしみる思いをしたのでした。皆様もわずかな雪でもすべりますので、屋内でもくれぐれもお氣を付けて下さい。
 今月は送料サービスキャンぺーン実施中です。この機会にご利用いただければ幸いです。

  No.284(2017年2月1日)

 雪のない正月を迎え、穏やかな日々が続いていた秋田市でしたが、中旬ごろから断続的に積雪があり、やはり冬らしい景色になりました。市内の太平山スキー場もひと安心といったところでしょうか。雪はあまり降らない方が良いのですが、降らなければ困る業界もあるので程々であってもらいたいものです。
  秋田県は全国でも有数の人口減少県でここ20年間に約30万人が減っています。今年の夏には、100万人を切れるという予想もあります。人口が増えると思って20年前に主要施設である日赤病院や新設の大学等を郊外に造り、中心部を空洞化させたツケが現在来ているのかも知れません。
 しかし、秋田駅前周辺は少しずつ変貌を遂げようとしています。秋田駅に向かって右側に位置するJR秋田支社が現在地より南に移動し、その跡地にはABS秋田放送がビルを建てて、テレビとラジオ局を開設することになっています。立体駐車場も本年4月には、100台から300台の駐車場として営業が始まります。秋田駅前のフォーラスは、今月末で営業を終了し、1〜3階までを吹き抜けにし、イオン系のSC 「オーパ」として今秋に新規開店の予定です。また、駅から続く仲小路の当店前には、CCRC構想で北都銀行秋田駅前支店と秋田信用金庫秋田駅前支店が入居する15階建のビルが2020年までに建設される予定です。CCRCとは、Continuing・Care・Retirement・Community(コンテニューイング・ケア・リタイアメント・コミニュテイ)の略です。リタイアした人々が住むマンションとして、医療施設等が整ったアメニティ溢れる施設で、秋田ではそれに若い人も入居出来るようする計画があるそうです。
 駅東地区には、秋田銀行が主導するスポーツ整形クリニックが建設され、JRのスポーツ施設との融合を目指しています。このように、将来を見越した斬新な計画を推進する年になりそうです。外旭川地区の観光資源的なイオンSCや千秋公園内の県民市民会館の新築計画もあります。それに5年間も放置されている旧平野美術館の活用が待たれます。
【お知らせ】昨年11月から販売して、ご好評いただいてる限定販売のJA新あきた産餅米使用の「しとぎ豆がき」は、完売致しました。ありがとうございます。

  No.283(2017年1月1日)

 新年おめでとうございます。
百合 皆様には、ご清祥のこととお慶び申し上げます。本年もご愛顧の程よろしくお願い致します。主原料である秋田県産もち米は、創業時(平成5年4月)の5tから現在では年60tを使用するようになりました。年末よりJA新あきた産のお米15tも使用し、3月まで限定販売をしています。是非、「JA新あきた」と表示の「しとぎ豆がき」をお試し下さい。
 ところで、当店では男鹿半島の奇習「なまはげ」にちなんで、しとぎ豆がきの入った「オリジナル立体なまはげBOX」を一昨年より販売致しております。大変ご好評いただき、昨年末で30.000箱を販売することが出来ました。市川海老蔵さんの12月14日のブログには、息子さんがなまはげBOXの蓋でお面がわりに遊んでいる画像が見られます。海老蔵さんのお子様たちの可愛らしい様子を拝見でき、癒されているファンの方も多いことでしょう。一日も早くご家族揃って団欒される日が来ることを祈るばかりです。
 折しも秋田駅から男鹿駅まで運行している男鹿線は、本年で全線開通100周年を迎えます。2月28日まで記念キャンペーンを開催しています。冬の男鹿は、観光的に厳しいものがありますが是非、温泉と石焼鍋という温まる鍋を食べにお出かけ下さい。
  結びに、年末に糸魚川大火災で144棟が焼失してしまいました。年末年始を困難な状況で迎えておられる方々のことを思いますと胸が痛みます。少しでも暖かい環境を得られますよう祈念致しております。一乃穂通信、本年もご愛読よろしくお願い致します。






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